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2018年11月14日

霜月も中盤に

11月も早いものでもう半ば。天気予報を見ていると、いよいよ晴れていても10度台の気温がちらほらと。11日(日)は海で泳いでいたお客さんもいましたが、段々と水に入るのはちょっと...という気分になってきますね。それでもカヤックツアーに来てくださるのですからありがたいこ限りです。

近頃は空を見ればまるで雲が無数の龍のようにたなびき、なにやらお空は活発に動いている様子。空気も澄んでいるのか夜空の星はまばゆい銀河。天の川がまさに星の河のよう。ふと気になって振り向くと美しい月が輝いていて、ああ、空はなんとも優しいなあ...なんて感じ入ってしまうのです。

どんな事になっても、今日を生きられたことはやはりありがたい。安らかな夜を過ごし、新しい命ある朝を迎えることは尊いこと。そしてご縁によって様々な道がひらけている最近。ついつい感慨深くなってしまいますが、こういう気持ちで過ごすことが、「豊か」なのかもしれないな。そんなことを考えながら、次第に寒くなる奄美大島で暮らしている今日このごろなのです。


電池も切れ、しばらく止まっていた時計を直す。
なにやら新しい時間旅行が始まったかのような気分だ。


夏日のようになるときもまれにあり、
そんな時はまだ半袖短パンで海に行ける。


ご近所から頂いたさつまいも、無水鍋で仕込めば絶品の味。


ちょっと冷えるなんていう夜はもらった廃材で風呂沸かす。
心から温まる至福の時。


山道をはしれば、台風の塩害で狂ってしまった桜が咲く。


レトルトのタイカレー。なめてかかったら激辛で火を噴く。


頂いた食器でオールインワンを楽しむ。


時に海へ。楽しむ方を見ていることはこちらも幸せだ。


ツアー後、パドルで飛んで帰る方々.....なんてね。


どこまでも透き通るエメラルドのゼリーの上をいく。
丸見えサンゴに興奮し、ただただ子どものようにはしゃぐ。


さあさあ、これから忘年会シーズンですね。みんさん余興の準備は万全ですか? ネタ探し、ネタ探し......。
  
Posted by gon at 22:08Comments(0)

2018年10月29日

平成で最後の種下ろし

秋晴れの28日(日)、我が節田集落では恒例の種下ろし行事が行われました。昨年は雨天のため、一箇所で行いましたが、今年は家々を回り踊るといういつものスタイルで行うことができました。各班で踊る家を決め、班員はその家に一品料理を持ちよります。そこで三味線、太鼓に八月踊り。みなさんからのご寄付を頂き、盛大にもりあげます。そんな行脚を夕方から10時前までやっていくのです。

今年は我が家も踊る家となり、大慌てで片付け、掃除と料理におおわらわ。ああ、でも人がくるとなると家って片付くものですね。常に人が見ることを前提にすると、それだけいい意味での緊張が走るのでしょう。女は見られることを捨てたら終わりだ、なんてすごい言葉を誰かからきいたことがありますが、家もまた同じなのかもしれません。


まつりの朝は大片付け。歩くこともできなかった部屋とは思えない状態に。


我が家の踊りで出す一品料理仕込み中。
桜のチップでスモークしたチーズと卵、そして豚バラ。


肝心な完成写真を取り忘れ、仕込みはじめの姿だけ。
おかげさまであっという間に完売でした。


あっというまに夜は暗くなりますが、
踊りは盛り上がっていきます。


踊り疲れて休憩の間。飲んで喋って賑やかに。


老若男女が集い、家々を回り語り合い、踊り合う。
晴天の星空のもと、2018年、平成最後のお祭りが無事に幕を閉じました。

10月は「神無月」と呼びますが。それは神が不在なのではなく、国中の神々が一同に介して盛大に祭りを執り行うという意味らしく、何時になく天の神様の世界も賑やかなようです。それに呼応するように人の世もお祭りの時期。祭りや踊りとは、豊作への感謝を表すものであり、神事として昔から神々とのつながりの場であったのでしょう。そんな風が届いたのか、今年の種下ろしは何時になく心地よい風が吹き、年配の方々も実にご機嫌が良さそうにされていたことが印象的でした。


  

2018年10月09日

不思議な気配で秋が始まる

台風24号と25号。片や先を行き、追いかけるようにあとから来ては去っていった兄弟台風。はるばる北の大地から来てくださったのにツアーが中止となってしまった方、自ら早々と旅行自体をキャンセルされた方もいました。海の仕事が潰れ、それを被害といえばそう言う面もあるでしょう。ですが、私はなにかそれだけでは説明がつかない大切ことが起こっていたようにさえ感じた、台風の時間でした。

地元の節田海岸は姿が一変してしまいました。海岸は広くなり、木々はなぎ倒されて見通しがよくなり、なにかいつもと違う世界が、この2つの台風から始まったような不思議さがありました。自然がその気になれば、世界なんていつだって一気に変わってしまうのだと思います。


港のスロープだった場所を覆っていた砂がどけられ、
砂の山脈登場。縦走できます。眺め良し。


空気だけでなく、その地の雰囲気そのものまで
一新していってしまったような今回の台風三昧。
空がいつもとは違う美しさでした。


畑仕事をしていても空は青々。
気がつけば空を見上げてしまいます。


海を歩いていたら、河口にバラバラになって打ち上がった保育所の看板発見。
回収し、修理し、無事お届け。娘と息子が通った保育所の思い出が蘇ります。


話の流れにまるで関係ないのですが、今日はオフなのでカレーを煮込むことに。


いつになく夜の星は美しくなり、日の出前の神秘的な時間も今までとはどこか違います。そうしてやっと穏やかな海が戻ったとき、いつぶりかの海のガイドに行ってきました。水も空も青々と。笑顔いっぱいの時間を過ごすごゲストの皆様。海に出ずっぱりでは疲れてしまうものですが、長らく陸に閉じ込めれてから出る海は、いつになく輝いて感じられました。節田海岸バンザイ!!


宇宙船、シーカヤックで月面に着陸!?


月の海で不思議な生き物たちと戯れる。


そして再び宇宙へ飛び出す。なんて、節田の青い海の魅力全開!


同じく月の海にて(節田のオアシス)。


ショートトリップでしたが宇宙旅行のような不思議な世界を堪能したご家族。
無事帰還してまったり。


午後も日の傾きが早くなりました。
2つの台風はいつの間にか夏を持ち去り、秋をおいていったみたいです。





  

2018年10月02日

台風24号 久しぶりにびびる

台風去り、本日は晴天の海をゲストと漕いできました。青々とした空、澄んだ海、まだ鳴いているセミ。夏のような奄美でした。しかし明日からまた荒れる模様。海は穏やかでありませんね。今日という日は貴重な晴れ間でした。

しかし今回の24号。この島に来てはじめての怖さでした。停電は29日の18時。まだ外が明るかったからいいものの、早い。寝るにも早すぎる。すばやく生肉を塩ゆでし、少しでも保存が効く状態へ。氷は溶けるくらいならと焼酎をがんがん飲み、いよいよ外も暗くなる頃には暴風域突入。

風は唸り、家は押されて揺れ、外では物体が家などにあたって転がるけたたましい音が鳴り響く。暗闇でかつてない音の凄まじさに耐える時間が続き、けっこう心がまいる....かとおもったら老ダックスフンドが横で爆睡...。心強い。

深夜2時頃でしょうか。芯にはいったのか、少し静かに。外へ出ると、海で拾ってきたガラス玉が路で木っ端微塵になって散乱している。急いで片付ける。雨が強くなり、家に戻ると、今度は風向き代わり、吹返しが....。それがまた強い。ちらほらと入ってきていたフェイスブックの投稿など見ると、知人宅などではシャッターが飛んだとか、ガラスが割れたとか...。そしていつのまにか携帯も圏外に。基地局がやられたか....。

そんな眠れぬ夜がやっと朝の光に照らされ、無事ではないが生きのびました。起きる気力もなくなっていたため寝坊していると、あちこちで大声や、らがらがらと飛んできたものを片付ける音。あ、そうだ周り大丈夫かと外へ出る。すると、自宅の屋根も一部飛び、隣はもっと飛び、みまわるとあちこちで木くずやトタンが散乱してました。昼から集落総出で大掃除。コミュニティの結束は素晴らしいです。

それからゆっくり自宅の屋根の修理に。あちこちで屋根をなおしていました。

10月1日、夕方。いまだ停電のまま。このままでは腐ると思い、買いだめしたもやし一袋半をまとめ食いしようと奮起。とたんに電気回復。ほっとしてもやしは通常の分量に戻すことに。電力は本当にありがたいものです。

しかし周辺の集落は未だに停電しているところもあります。そこに25号が迫っています。早期の復旧を願います。


29日夕方。停電直後。まだなんとか明るい。


30日、まだ強風域の中で朝を迎える。海へ来ると防波扉まで砂でいっぱい。


車を止める場所も砂山に。


アダンがあったところも砂だけに。


こちらは隣町のある通り。左の壁から下、海まで高さ5m程ありますが波が超えたのでしょう。
あちこちで少しづつでも回復していってほしいです。




本日10月2日。あの嵐はどこへ? 晴天の恵み。


くつろぎの夏休み、復活。


NHKでは終わりましたけど、ここにはまだ半分青い、あります。


いや〜、よく漕いだ。


夕方、ラナと遠くの海へ散歩に。知らない場所に大喜び。
なんかカワウソくんのような顔。






  

2018年09月06日

台風に大地震に.....。

凄まじい嵐となって日本を貫いていった台風21号。死者も出し、タンカーが橋にめり込んだり、日常をこうも一変させるものかと、改めて大自然の力の凄まじさをみせられました。と思ったら北海道の地震......。多くの専門家が予測をするのはだいたい海溝やプレートでの地震。しかし、来る来るといわれて警戒しているところとは異なった場所で、大災害になる地震が多いように思います。つまり、地震は科学的には予測不可能なようです。

台風21号の被害も冷めやらぬ中、北海道全域を震撼させた大地震。奄美にもよく来て下さる方々も、多く被災されていることと思います。ご無事でありますように。そして、早期の復旧が叶いますように。


  
Posted by gon at 12:11Comments(0)日々の出来事

2018年09月04日

新シーズンも、新しい人生の始まりもゆっくりと

台風ではなかったもののなんだか強風の、先月の26日。あやまる祭り船漕ぎやナンコ大会、夜の舞台芸能は実施されました。順当に強いチームが上がっていく展開でしたが、我が節田集落は集落対抗で3位。一般の部では準決勝進出となりました。練習量や選手の体力を考えると、良い成績でしょう。選手のみなさん、スタッフのみなさん、改めてお疲れ様でした。夜の舞台芸能は、私は力尽きて家でダウン。見に行きませんでしたが、花火は中止だったものの大変盛り上がったとのこと。いつも30店舗ほどあるで店も9店舗となり、客が殺到して売り切れ続出だったとか。天気は微妙でしたが、お店の方々の売上は最高だったようです。



そしていまや9月も4日となりました。離れ暮らす子どもたちも新学期、そして新しい学校ですが、馴染んで楽しくやっているでしょうか。私の方は、8月最後まで夏の余韻を楽しむお客様と海を駆けてまいりました。シーカヤックマラソンが中止となった無念を晴らすために来てくださったご家族、のんびりと海を満喫するカップルのお二人、何年も来てくださっている一人旅のリピーターさんなど様々ですが、おかげさまで青い海の案内人を励ませていただいております。料理ができるようになったのもお客さんのおかげですよ、ほんとに。


おだやかなヘブンビーチでくつろぐご家族。


浮かぶだけでも十分気持ちいいのです。


まだ作文が書けていないと行っていた5年生の女の子。
きっといい文章が出来上がるでしょう。


シーカヤックマラソンもいいですが、シーカヤックピクニックもいいですよ。


お母さんも一生懸命にこ漕ぎました。

海は 「ハワイより楽しかった!!」 そうです。

めでたしめでたし。



のんびりとお二人でのランチタイム。絶景レストランはいかがでしょう。


サンゴや魚の龍宮城。ついつい夢中になってしまう。


夕方近くの海。穏やかな日差しが波の形で降り注ぐ。


台風前の軌跡の凪をいく。


キャンプでしかやらないメニューもたまにはデイツアーでやってみたり。


そんなこんなで一人暮らしも一ヶ月を過ぎました。犬の世話、仕事、家の片付けで忙しい日々。動くからこその活気であり、張り合いなのですね。イキイキしていればやはり嬉しいことが自分から舞い込むもの。丘も海も、笑顔全開で生きていきますよ!
  

2018年08月27日

8月の終わりが見えてきたこの頃

台風19号、すごかったですねええ。久しぶりに怖いくらいの轟音の雨風でした。うちは大丈夫でしたが、家によってはかなり屋根が飛ばされてあり、倉庫がへしゃげたり、テレビのアンテナが折れたり、戸が吹き飛んだりしていたようです。生活館にも避難者が出るほどでした。ここ数年、まともに食らう台風がきていなかったので油断していました。久しぶりに我が家も停電。19時頃だったでしょうか。パソコンが突然消え、でも部屋の電気はついている。不思議なことでした。扇風機はつくけど、強にしても弱波の弱さ。パワーが落ちているのでした。ああ、これなら先にお風呂入ろうと思った矢先、今度は真っ暗に。まさかの水シャワー (T_T)。


19号上陸寸前の夕方。


左からの風が強すぎて右しか向けないワンコ。


停電後、キャンドルで漫画を堪能。

しかし停電被害が広範囲に渡ったため、復旧にあたった
九州電力、各地の電気屋さん、本当にお疲れ様でした。




さて、間もなく8月も終わりが見えてきましたね。お子さんのいる各ご家庭では夏休みの宿題の追い込みや、宿題が終わらない子どもたちの阿鼻叫喚で慌ただしいところでしょうか。実に8月16日〜26日までのカヤックツアーのご予約の9割が中止となり、別の意味で騒がしく、途方に暮れていました。ああ、今年の台風はずいぶんと稼ぎ時に海を荒らしまくってくださるなあ...と。マリン関係の観光業者はだいぶ痛かったことでしょう。

しかし、自然の前に人間など小さなもの。宇宙の中では地球だっ塵にも匹敵しないほどの小ささ。じっと時を待つことしかできないと思うと、心も静まるというものです。またきっと羽ばたける日がきます。そうしてやっと明日から海で仕事ができそうです。お天気に感謝。


8月24日、荒れてカヤックは不可。しかし何か遊べることはないかと模索。
そこで、秘密のエメラルドオアシスへ歩いて行ってみることに。


漕げないなら歩いていこうと、ロックウォーク。


探検隊、果敢に進む。


たどり着いた貸し切りタイドプール。エメラルドのオアシス。


潮が引けば台風の波とも分断され、安全な場所に。
大きな魚やサンゴもところどころ。


サンゴを歩いて見る不思議。


はじめはシュノーケルが怖くてあまり泳げなかった7歳の女の子。
気がつけば平気になり、ライフジャケットなしで浮いたり泳いだりパワー全開。
愉快なタイドプールは、子供の世界を広げるミラクルワールドでした。

いや、大人だって楽しいですよ。

  

2018年08月20日

それでも日はまた昇る

日本中の知人が前回のブログで激震していたようです。なんでも遠いところから私の離婚を聞いたというバツ3のご近所さん。いやいや、私はもう増やしませんよバツの数は。それよりもこちらは目前に激震の19号が迫っております。明日の夕方には直撃でしょうか。3日〜4日は食べ物も大丈夫ですが、停電も有りえます。が、アウトドア装備充実の我が家は大丈夫です。楽しいキャンドルライトとヘッドランプで乗り越えます。



でもダブル台風半端ないって!!





さて実生活ですが、一人で(犬2匹はいます)暮らし始めてはや20日。え、まだ20日しかってないんだ。なんかすごい長く経ったような気がします。生活を軌道に乗せるには無我夢中にならねばならず、エネルギー全開です。それがかえって充実感となり、日々重厚な時間となっていたのでしょう。濃厚な人生といったらいいのでしょうか。何をしていたかといいますと、なくなった家具作り。そうです。まずはダイニングテーブルを作ろう! っとひらめき、いろいろあった余った木材でトンテンカンと大工仕事。中学生の技術の時間にまいもどったような楽しさでした。



はじめは1つ、やがて2つ、だいぶ生活に馴染んでいます。
作るって素晴らしいです。



頂いたガスコンロで仕上げたペペロンチーノ。
ワンバーナー調理はキャンプで慣れっこでした。



しかし初めてつくったオムライスは破裂。
ややへこむ。








落ち込んでいる隙はもちろんありません。
海では夏休みのご家族をエスコート。
元気な歓声にこちらが元気を頂くようです。



はじめは一緒に仕事をしていた方など一部の方々に限って離婚の報告をしていきました。すると、おまえ大変だろと言って使っていない冷蔵庫やガス代などくださる方が次々現れ、助けていただきました。本当に涙が出ました。ありがたいです。最初の一週間は冷蔵庫もなく、ガスコンロ一つでしたから、食べ物冷やせるってありがたいと、しみじみ思いました。






そして海を駆ける日々は続く。



地元の祭りは熱気に溢れる。



島の海はどこまでも青く語りかけてくる。



祭りの準備の忙しさにへこんでいる暇もなし。



初めて自分で買ったフライパンに歓喜。



床でくつろいでいればお腹をすかしたムーミンが走り寄る。



横浜の義兄からはこんな食器がが届き......。



ついつい遊んでしまったり。

なんでもこの食器、義兄が出張中に懸命にポイント貯めて
手に入れた我が子のような食器だそうです。 感謝! 



泊まりに来た娘がハンモックでくつろぐ姿に安堵。



宮崎のプレミアム地鶏を堪能する幸せにめぐりあう。



世界はとまっても、また美しい朝日は登ると知る。

そんな怒涛の日々に、

それでも日はまた上り、星は輝くと、

思い返されたのでした。




  
Posted by gon at 20:24Comments(0)日々の出来事

2018年08月14日

形を持ち始めた変化

近年、奄美大島のメディアでの露出が増えていますね。それに伴い人気も上昇。いまでは宿やレンタカーが予約できないといった話もよく聞くようになりました。来る人が増える。でも受け入れができない。受け入れが追いついていないのですね。そこに5000人乗りののフェリーなんか誘致したらどうなってしまうのでしょうか。身の丈を考えた観光対策をしていただきたいものです。






話は変わりますが、私、2018年、7月17日を持ちまして、妻と離婚をいたしました。
これまで家族ともどもお世話になりました方々には、感謝しきれません。

ええ!!?、話変わりすぎだろ!!と突っ込まれそうですが、やはりご挨拶といいますか、しっかりお知らせしなくてはいけないかと思いまして。何が原因か。もはやこれだから、と一つには収まらない気がしますが、私が不倫などしたわけではないことだけは、ここに強く宣言いたします。結婚中の浮気、不倫、異性関係は、最後まで頑なに潔白を守りました。もうこれからは自由です。

あまり多くを語れば言い訳がましくもなりますが、元妻にとって私がストレスの原因になって苦しむならば、どうか離れて清々と暮らしてくださいという思いがあります。こちらはあちらが期待したとおりには変わり得ないと、16年の結婚生活で痛感しました。私だって首が絞まるような空気のなかで暮らしたくはない。そんな空気は子どもにもいいことはない。何もかもが壊れて消えて、だめになってくような空気でしかありえないなら、風穴を開けるのも一つだと思いました。

家庭裁判所で調停が成立し、妻が親権者に。7月末に彼らは隣町に引っ越し、いまは一人暮らしとなりました。いや、犬が残りました。なんでも新居は犬は不可とされたようで。

あれから2週間。大変に静かな暮らしとなりました。穏やかというのでしょうか、寂しいというのでしょうか。仕事から帰ったら家具がなくなってガランとなった家。流石にその光景にはショックでした。しかしいま、なんと風通しが良くなったのかと思います。しかしとにかく静かです。結婚以来、正確には子供がうまれてから、こんな時間があっただろうか.....というくらいの静かな時間のなかに今はいます。

これが今後どんな人生に転じていくのかと思いをめぐらせつつ、初めて作る料理など(本格デミグラスソースって大変だ!!)無我夢中になっておりおます。

45歳にして大きな変化を経験した2018年。

今後ともみなさま、独身になって吹っ切れた身ですがどうぞよろしくお願いいたします。



  
Posted by gon at 10:02Comments(0)日々の出来事

2018年07月04日

シーカヤックマラソン中止の後遺症か

奄美シーカヤックマラソン in 加計呂麻。26年目となる今大会。まさかまさかの中止となったがっくり感が今頃じわじわ心身に応えてきたのでしょうか。それは6月26日頃。大会5日前頃に、低気圧が南方で産まれたなあ.....と思ったことが始まり。27日、28日、と、あれよあれよと熱帯低気圧になり、29日には台風に。そして大会2日前の29日、役場が早々に決断し、シーカヤック大会および後夜祭も、26年史上初の中止となったのでした。


またこんな賑やかで穏やかな大会があるといいですね。


大会3日前、28日(木)の大島海峡。この日が大会だったら....。
しかしこのときすでに、南の洋上では不穏な低気圧が生まれていたのでした。


大島海峡の嘉鉄(かてつ)ブルー。鮮烈な水色。


ちょっと異国感ある赤い岸壁。
大島海峡の対岸、加計呂麻島の渡連(どれん)。


それを知った関係者の衝撃は察するに有り余るものでした。数日前から奄美入りして大会に備える方々。昨年の教訓を活かし、万全のトレーニングや準備をされてきた方々。まさか、飛行機が島に着くと同時に中止の連絡を受けるとは思っていなかったことでしょう。とにかく私も衝撃をうけました。

この大会は、梅雨明け宣言的なもので、まさに「夏」の始まりの象徴。それがこんな空振りになるとは.....。

とはいえ、天気が気がかりだったことは確か。親子連れの参加や初めて間もない方々も多く、相当数の転覆とリタイヤ、また棄権者がでることは目に見えてもいました。だからがっかりと同時に、ああよかった....という安堵もあったのでした。

それは何年前だったでしょうか。数十艇のカヤックが荒波と風で転覆し、うち10艇ほどのカヤックは外用に流され、人間は助かりましたが船は回収できなかったという惨事があったのです。その再来に近い天気予報でした。役場の判断は正解です。勇気の要る決断だったことでしょう。

それにしてもあまりに急激に発達した台風7号。おまけにいつもなら梅雨明けしてしばらくしてから来るのが通例。もはや気象パターンが劇的に変化しているのではないでしょうか。

とのかく大事に至らず、犠牲者も出ずなにより。来年までまた準備に精を出すとしましょう。

  
Posted by gon at 18:48Comments(0)

2018年05月22日

梅雨入りのキャンプ

海のシーズンへ突入したかと思えばもう5月7日から梅雨入り。雨が心配される中、シーズン初のキャンプに行ってまいりました。場所は加計呂麻島の実久。テントスペース、東屋、トイレ、シャワー完備の文明的なキャンプでしたが、浜で小さく焚き火ご飯。そこをベースに加計呂麻島の西側(外洋)へいったり。時には唯一の売店のおばちゃんと人生を語り合い、実久の湾を探索したりとのんびりな3泊4日。フェリー加計呂麻が帰る日にドック入りし、代理運行の建設会社の船に車を乗せたりと慌ただしかったですが、これもまた旅の学び。それにしても、実久ってほんとに遠くて、距離としては古仁屋についてから西古見へいくようなくらいでしょうか。ある程度の買い物を済ませ、あとはフェリーのつく瀬相(せそう)で買い出すしかありません。瀬相には幸いお土産屋さんができ、地場野菜、お肉、刺し身なども買うことができるので助かります。


まずは古仁屋にでむき、フェリーで渡ります。


それにしてもでかいマグロ...。


フェリー加計呂麻にて横断中。


8時10分、生間(いけんま)いきのフェリーに乗り、
実久まで車で着いたのがおよそ10時頃。なかなかの長旅です。
しかし海が青いですねえ。


みなさんが漕いだり泳いでいる間、
キッチンソテツでせっせとランチの用意。


実久の湾の、とある場所。向こうには無人島、江仁屋離(えにやばなれ)が見えます。


風がやや強く、この日は早めに上陸。まずはおばちゃんのビールを頂き、
テントを立てます。


この日は雨も降りそうだったので、ストーブで調理。
こんな場所で夕暮れをむかえました。



風が静まった中日は外洋側を探索。どうも魚影は少ないようです。


しかしお客さんの一人が初めて見るすごい魚を獲ってしまいました。
ワニゴチというそうです。


白身の刺し身に变化。絶品でした!。


ネギ、生姜とともに味噌汁に。絶品でした!!。


最終日は再び漕いで外洋へ。サンゴの綺麗なポイントでシュノーケルを堪能。
梅雨の只中なのに暑いくらいの日差し。ありがたし。


もはや夏日の様相ですが、夏よりも気温が快適です。


最後の晩はやはり外で。持ってくれたお天気に感謝。


帰る日の朝早く。いよいよ空は梅雨模様。


船までしばしの時間、高台を見物に。見晴らし最高です。


静かな大島海峡の入り口。夕日が見えたら絶景ですね。


そして船に乗り込み、一同は古仁屋へたどり着き、街中で解散。同じ島にありながら、ちょっと遠くて異国感さえ感じた加計呂麻島の最果て。なかなか余韻が抜けません。もはや10数人しかいないという小さな集落がたくさんの島の現状。来る未来はいったいいかに....。過疎、高齢化、村の消滅....。いろいろなことが浮かびますが、でも5000人の中国人が船で来たからと、解決になることはないでしょう。綺麗な海、静かな村....。喜びだけではない問題。そこに人が住み、仕事をし、生活が営めなければ、どんどんと人は離れていく。人が住み、仕事をし、結婚や子育てもし、次世代も住み続ける.....。そのためにはある程度の開発や利便性の向上は必要でしょう。ですが、度を越したものはかえって逆効果。住み続ける人たちにとっての生活のしやすさ、外から来る人々にとっての魅力や価値。このバランスが大切なんでしょう。なんだかとりとめもないことを書いてしまいましたが。加計呂麻島の余韻が、こんなことを私に考えさせるのです。







  

2018年05月07日

まだ少し涼しい春の海

傷も癒え、体力も回復。サトウキビから海のガイドへ転身。いつもこの切替がなかなかにエネルギーを使うようです。今年はとにかくスロースタート。そして通年スロームーブでいこうと思います。早朝、日中、夕方、キャンプと怒涛の連続となった昨年夏、ついに過労で寝込みましたので、ゆっくりと行かせていただきましょう。気がつけばもう40も半ば。ああ、駆け抜け、走ってきた10年だったなあと、感慨深くもあります。そんなことで、今年のGWは2組のご家族とご一緒させて頂きました。

島にはいま大型クルーズ船問題とか、ともすると海を埋め立てて何かを作って観光振興といった動きが目立ちますが、美しいものもまだあり、幸せもまだあることを忘れずいたいもの。「出世もせず、くじにも当たらず、今日を生きてる運の良さ。」江戸の俗曲にそんな一節があるそうですがまさにそんな心意気。あんがい小さなしあわせを集めていくと、大きな問題も動かす力が味方についてくれる、なんてこともあるかもしれませんしね。


初夏を思わせる節田海岸。風も波もやみ、穏やかそのもの。


目の前がすぐ外洋で、サンゴの迫力も抜群のここは、
カヤックから眺めているだけで圧倒されます。


初めての小さなお子さんも、最高のお天気ずっとにこにこ。


海が綺麗だと冷たくても飛び込みたくなってしまうみたいです。
私も全身浸かって一緒におよぎました。
小さな魚が見えただけで大歓声を上げる7歳のお兄ちゃんと5歳の妹さん。
きっとシュノーケルの虜になるでしょう。


裸足で岩を歩くのも気持ちいいのです。


終始おおにぎやかだったご兄弟。
「お兄さんかっこいいね!」と無邪気に連発する妹ちゃん。
正直だなあ.....なんて。さあ、今度はキャンプが始まります。
  

2018年04月24日

さらばサトウキビ

長い長い、サトウキビの刈り取り作業がようやく4月20日をもって終了いたしました。例年なら4月の4日、5日頃には終わっていたものですが、国の法律やら、製糖工場の故障やら重なり、ここまで伸びたのです。4月も後半となるともう暑い暑い。常に腕まくりしてしまいます。そして暑いのでハブが出まくるのです。今回はハブだけでなく、危うく卵を温めている鶏まで剥ぎ取るところでした。間一髪でしたが、キビ畑で卵産まないでくれ....。しかしみんな頑張りました。スタッフの皆様、お疲れ様でした。

次は12月から作業開始となる可能性大とのこと。賛成です。がぜん涼しいくらいがちょうどいいですよ。もう暑いと海に飛び込みたくてたまりません。しかし何でしょう。こんなに長引いたせいか、GWも間近なのになかなか海モードにならなくて....。切り傷、打ち傷数カ所。流石に疲れと怪我を、少し癒す必要があるようです。いつになく頑張ったハーベスターの操縦。ゆっくり骨休みしてから海へ出るとしましょう。

しかし風が暖かくなってきました。もはや完全に春も後半。初夏の様相です。


眩しい青空となった4月後半。
夏日のような中、燃料を入れる富国製糖の社員さん。


青いさとうきび畑だったところは、
早々と植え替えなどされ、今度は茶色い丘の風景となります。


植え替えず、刈り取ったあとにまた芽を出す「株出し」。


そして最後はべっとべとの糖蜜を流して終了。
6台あるマシンのなかで、天然記念物とまでよばれる最古参の
この一号機。今年もよく頑張りました。お疲れ様です。








  
Posted by gon at 23:17Comments(0)農業

2018年04月03日

Koyaウエディング

3月吉日、地元の友人の結婚式によばれて行ってきました。その日は晴天も晴天。晴れ渡る青空、時折なびく白雲は美しい龍のよう。

奄美の信仰は自然の神様を敬うもので、この結婚式はその古くからのしきたりにのとった「ネリヤ婚」とよばれるもの。いつもは海辺で、古来からの木舟をおいて行うのですが今回は山、キャンプ場としてオープンした[koya」さんで。それはそれは張り切って準備してくださったことでしょう。随所に素晴らしい演出が散りばめられていました。高台から海や空の神様へと誓う結婚の宣誓。しかと天に届いていたいたことでしょう。


おしゃれな飾り付けはセンスを感じます。


晴天は天の祝福のように素晴らしかったです。


山での式の後はレストランで披露宴。その合間の空もどこか優しい。


合間にはみな穏やかな時間。


新郎新婦の公式撮影の横で、それにも気づかず爆睡する強者も。


披露宴では様々な余興で盛り上がる中、ラストはもはやテーマ不明に。


そして最後は両家、来賓入り乱れての六調。やはり島はこれですね。

ともあれ、ご両家のみなさん、そしてお二人さん。
末永くお幸せに。






  

2018年03月06日

製糖工場から煙が出ない最近

2月の終わりに地元製糖工場が大きな故障を起こし、製糖が止まりました。それにあわせ、刈り取り業者一同が作業中止を余儀なくされ、はや8日間。あと数日で復旧しそうだと言う状況にようやくなりました。本来なら故障なんてオーマイガーというところですが、おかげさまで確定申告、地域役員としての会計書のまとめ、負傷した傷の治療、痛くてたまらなかった膝の回復にもなりました。雨降って地固まったようです。しかし、いつもなら4月の前半には終わる作業が、4月いっぱいはかかるだろうとのこと。ホームページでは4月後半からシーカヤックスタートとありますが、この分だと5月に入ってからのスタートになりそうです。

ともあれ、もうすぐ再開です。ちょっとなまった感覚を再び目覚めさせていきましょう。


天に向かっていきいきとしたサトウキビの花。


まばゆい畑のひととき。


働いています!


ときには工具もメンテナンス。


冬の朝はよくこんなふうになります。


機械の調整も余念はありません。

  
Posted by gon at 07:52Comments(0)日々の出来事農業

2018年02月02日

時代変化の頂点にきているのか

先日、スーパーブルーブラッドムーン、いつになく地球に近く、皆既月食と重なり、一月に2回の満月があったということですね。煉瓦色の月が夜空を染めた模様が多くのSNSなどでアップされ、話題となりました。ここ奄美大島は残念ながら雨。見られないと諦め、前日にたっぷり見上げておきました。何時になく大きく、明るく、そしち近かったようでした。そして周辺を取り巻く神秘的ともいえる雲の動きや様子は、「 何か 」 訴えているかのようでもありました。もともと夜空の星や月を見上げて過ごす時間が好きな私は、ちょっとそんな 「 違う 」 感をすごく感じたものです。




月は占星術などでは、幸福や奇跡を司る力とも言われます。同時に、満月や新月には大地震が多いとか、犯罪や事故が増えるなど噂があるのも確か。この月が前回現れた時は、江戸最後の天皇が崩御され、明治天皇が即位された年だったそうです。激動の維新ですね。大河ドラマもここぞとばかり 「西郷どん」 となっているのはただの偶然でしょうか。開国か外国勢力を退けるか(攘夷)。そして国が徳川軍と薩長の維新軍とで大激突した時代は、150年前。こうしてみると、つい最近のようですね。植民地化をたくらむ外国勢力にこのままいいようにされ、それに対して幕府に国を守る力なし。このままでは国が危ういといって幕府との戦い、激動に身を投じた薩長の志士。若者たちよ、いまいちど国難に危機感をもて! と、あの月に願いを込めて今の我々に訴えているのでしょうか。

血気盛んな維新志士が西古見集落や瀬戸内町に住んでいたら、今回の有無を言わせずに行われようとしている大型クルーズ船誘致計画をどう思ったでしょう。北海道や奄美諸島が中国を始めとした外国資本に次々買い漁られ、規制もかけない国の姿にどう行動したでしょうか。奄美近海で炎上沈没した石油タンカー。その油で国土が大規模に汚染される可能性を知った時、当時の島津藩主は、せごどんら維新志士たちは、きっと立ち上がったのではないかと。ドラマに感情移入し過ぎか、少し血が騒ぎます。


西古見集落前の美しい海にて。








  

2018年01月19日

西古見 豪華客船について考える

瀬戸内町は西古見、奄美大島の最西端にある集落。かつてはカツオ船で栄えた村も、いまでは34名の静かな場所。しかし三連立神や美しい夕日で訪れる観光客も多く、風光明媚なよいところです。私もシーカヤックやキャンプで何度か訪れていますが、またいつか来たいとおもわされ自然豊かな場所です。青々とした海、まだ見事なまでのサンゴ、穏やかな村の人々...。携帯はつながりにくく、嵐の二宮くんがいったら電波がなくて発狂しそうですが、それもそれでまたいいのかなと。なによりも海から立ち上る何とも言えない自然の力。正直言って癒やされます。高齢者が多く、34名の集落。このままいけば、どんどんと衰退していくのかもしれません。


西古見の戦跡からの眺望。
シーカヤックにのって海を旅していると、
この島には本当に”聖地”と呼びたくなる場所がいっぱいあることに気が付きます。
ここもそのひとつ。
こんな場所をめちゃくちゃにしないで欲しいです。



そんな静かな集落に大きな脅威ともいえる開発が迫っているようです。昨年でしたか、せごどんの舞台でもある龍郷町の美しい倉崎海岸に、アメリカのクルーズ会社の豪華客船、乗客、船員あわせると7000人乗りのどでかいフェリーを入れるという計画が持ち上がったのです。危機感を感じた地元住民が反対を表明し、全国から反対の署名も集まり、町として受け入れを断念したことは記憶に新しいところです。私もいろいろ調べました。大規模客船の規模やその影響。

あの風光明媚な西古見にその船を入れる? なんでも船会社が100億円も融資してくれ、開発を推し進めてくれるとか。中国人が主な乗客。以前龍郷町で説明会を聞いた時、山一体がレジャーランド化するということでした。幾つものレストランを作り、ジェットコースターを作り、中国人は滝が好きだからわざわざ人工の滝を作るのだそうです。ご苦労なことです。その計画には、島の自然や神様への敬意など微塵も感じません。



イタリアのヴェネチアに入港した豪華客船。異様な威圧感です。
宇宙人の侵略のような...、もはや美しい水の都の風情はなし。
最近では環境や景観、生活への影響から、
規制する動きが起きているそうです。



メリットとしては開発費を船会社が出してくれる、一時的に地元の土建業が潤う......程度かな?。膨大な数の中国人を誰がおもてなしするの? 結局、生み出される雇用も、地域の人の雇用じゃなく、中国語を話せる外部の人達の仕事になるのでしょう。この計画、私は嫌です。静かだから、自然豊かだから、美しいからと来ていた人々はもう寄り付かなくなるでしょう。魅力的な場所が魅力的でなくなるから、という基本的なことはもちろん、他にも危惧していることがあります。それを幾つかまとめたいと思います。

<世界的な異常気象は激しさを増している>
世界のニュースをみていますと、赤道付近の国で大規模な洪水、大雪などが起きています。数日前にはサハラ砂漠でも40cm積もるほどの雪がふったとか。ロシア、アメリカ、中国、オーストラリアなどでも、歴史的な寒波や大雪、熱波、大火事、大洪水、大地震、火山の噴火、史上初の大規模ハリケーンで島が壊滅など、相次いでいます。この傾向は年々激しくなっている模様。死者、避難者、生活崩壊する人々も多数。今年からこれは鎮まりますとは誰も言えない状況です。これはつまり、農作物への被害、インフラなどの生活基盤への打撃が世界的に激しくなることが予想されます。

<人口は劇的に減って行くのでは>
世界人口は70億を越え、100億になるのは時間の問題と言われています。しかし怒れる地球の猛威とも言える異常気象や天変地異は、人間の計算など簡単に打ち砕くのではないかと考えています。日本だけでも、1時間あたりに51人の自然減が確認されています。このままの減少が続けば300年したら300人程度になるとの計算。しかも少子化は世界的な流れ。人口は劇的減少という方向が自然な流れだと考えています。経済もそれに見合ったものに変わらざるを得なくなるでしょう。

<北朝鮮をとりまく不穏な空気>
アメリカまでを射程に収めるミサイルに、電磁波攻撃も可能という情報を見かけたことが有ります。真意はわかりません。しかし現代の技術なら可能なことです。大国の電力網を一瞬にして大停電に陥れる兵器はすでに存在していると思われます。いつそんなミサイルのボタンが、ポチッとなと押されて不思議ではない状況。大国崩壊も一瞬にして起こりうる舞台がすでに万全の体制で整っています。

<太陽は弱まり、ミニ氷河期に突入?>
太陽活動がかつてないレベルに弱まっているそうです。そして寒冷化。すでにここ数年、ロシアや北米では北極よりも低い気温が記録されています。これは農作物の甚大な被害、動物などの劇的な大量死、つまり世界規模での食糧難を予想させます。

<ビットコインの大暴落?>
日本経済はかつてバブル崩壊の痛手にあっています。しかしいま、それとは比較にならないバブル、仮想通貨ビットコインが人類史上最大のバブルを起こしています。多くの投資家、富裕層は手を付けているでしょう。しかし、実態のないものの未来は当てになりません。やがて大暴落し、多くの資産を失って途方に暮れる人が続出するでしょう。クルーズ船で遊ぶどころではない。上がり続けていいたビットコインの値段、つい数日前に「40%の下落、投資家泣く」、なんていいうニュースが流れました。楽して金儲けは結局できないのでしょう。

細かいことをのべればまだまだあるんですが、こうした背景を気にしています。これはつまり、豪華客船にのって旅をするような富裕層の人々がいつまでも富裕層でいられなくなるだろう、という予測の材料です。いまはまだいいでしょう。しかし、2018年から2020年にかけ、一気にいろいろと変化が起きてくるのではないかと。100億円かけ、山を削り川を埋め、膨大な石油を消費して海を遊び渡る船会社の背景も、上記のようなものとなっているということです。特にクルーズ船の会社があるアメリカの自然災害、トランプ大統領が就任しての1年間は、建国史上最悪の規模だったことがわかりました。そんな国の船会社です。その会社だけは平気とは、誰にも言えないでしょう。

開発はしたもののフェリーは就航しなくなる。あるいは開発の途上で撤退を余儀なくされる。残るは失われた自然と廃墟のようなテーマパーク。悲しい姿です。つけは瀬戸内町、及び34名の、静かに暮らしていた人々へ回るのでしょう。こうしたことで、私は反対に一票。




数年前に訪れた西古見の海。ただただ綺麗でした。


いや、ほんとうに綺麗でした。そして静かでした。


水面からでもサンゴが多いことがよくわかります。
潜ったらなおすごいのです。


初めて会う私達をいきなり宴に招いてくれた西古見の方々。
一献かわせば古き友のようです。


海の幸を愛し、郷土を愛する人達との一時は忘れがたい。



静かな西古見の港。小さな宿、小さな観光船、小さな売店、

小さなサービスを持続可能にしていくことが、

島の宝と共存する道ではないでしょうか。


憩いの里、西古見であれと願います。



これはあくまでも私の個人的な感想であり、予測であり、主観です。一意見として参考にしていただくだけで十分です。

ここまでお読み頂き、ありがとうございました。






























  

2018年01月01日

新春初日の出

2018年突入。

あけましておめでとうございます!

昨年度は大変お世話になりました。

本年もどうぞよろしくお願いします。






我が家の年越しは家族でこたつ。こどもとみるテレビはダウンタウンの笑ってはいけないやら、紅白やらめまぐるしい様子。そして12時をまわったら地元アマミコ神社に息子と初詣。地元有志が寒い中、ぜんざいを用意してくれたました。ありがたい!


月も星も煌々輝くそらだけに冷え込んでいましたが。お陰でほっこり。


そして1月1日、午前6時50分頃。僕も行くといっていた息子を起すも、「眠い! 僕のことは構わず行ってきて!」 と戦場で負傷した兵士のごとくセリフを吐く息子をおいて一人で初日の出を拝みに。雲があり、海からの出る姿は見られませんでしたが、見事な黄金の輝きでした。


太陽直視よりもなんか神々しい感じがします。


そしていよいよお姿が! やはりまばゆい輝きは神々しい。

済んだ空気を胸いっぱいにすってのご来光でした。

みなさんに良い年となりますように!
  
Posted by gon at 08:46Comments(0)日々の出来事

2017年12月24日

年の瀬迫る日々の中

まだ夏がおわらない、なんて思いながら暑い日々に耐えていたら、あっという間に12月。いや、流石に寒いかな。25度くらいの日が急に15度くらいになると、寒いんですよね。あっという間に12月というか、もうクリスマスじゃん。十代の頃は付き合ってる彼女に何をプレゼントしようかなんて悩みながら渋谷のLoftとか行列の中をさまよっていたけど、あの頃が懐かしいです。この前、知人が大阪にいるだけでやけにあくびが出ると、Facebookに上げていました。ご本人の分析では、「酸欠」ではないかとのことです。そうかもしれませんね。狭い場所に多すぎる人。若き日の渋谷歩きも帰る頃にはなんせぐったりして電車に乗っていました。それも人疲れや「酸欠」だったかもしれません。水槽の中に魚が増えすぎると一斉に死んでしまうということがありますが、人間は大丈夫でしょうか。広い場所はいっぱいあります。酸素の豊富なところへ行きましょう。

ここ奄美大島。朝の海辺の散歩は目一杯空気を吸い、実に清々しいです。立派な家に住む都会生活より、なんか豊かだよなと感じます。畑で土と緑と触れ、海でサンゴと魚と泳ぎ、潮の香りを嗅ぐ。若者賑わう町中のデートもいいですが、今度は彼女や彼氏に「綺麗な空気デート」なんかをプレゼントするために奄美に来て見るなんていかがでしょう。


近くでコーヒーを育てている農家さんのお手伝い。
足掛け20年近くトライアルエラーだそうです。


バナナもたくさん。たまに落ちてるのつまみ食い。うまいです。


たまに娘と海へ。あまりにきれいな夕焼けに魔女の宅急便ごっこ。


忘年会はもうお済みですか?我が地域の忘年会は余興に命がけです。


12月は行事も大忙し。町おこしフェスタなるものに出向いてきました。


会場で、豚汁を食べたいのだけど開店前のため、待たされる面々。


待った甲斐あってようやく豚汁にありつけた面々。


ちょっと遅くなったけど畑にも野菜を植えてみました。
太陽の下で体を動かす。それ健康の基本でしょう。


時にゲストを連れて海へ。たまの好天に当たると焼けるくらい暑い12月。


時変われば奉仕活動。毎年集落の面々で農道の草刈り、砂利敷きなど。
こうした活動で田舎は保たれています。

いかがですか? 酸欠とは無縁の田舎の暮らし。

  

2017年12月11日

電気がとまったらどうするか

美しきキャンプ賛歌の後半になりますが、いつも思うことは、そこでは電気がないということなのです。戦中戦後体験の世代の方は、今のように何もかも電気で賄えることはありませんでしね。電話にしても、誰かの家まで使わせてもらいにいったり、下手をすれば灯油ランプでの生活だったり...。いま電気で動いているものの多くを、人の手やそれに近いもので動かしていたわけです。そう思う時、カヤックという乗り物で海を漕ぎ、文化的なものがないなかで過ごすことは実に大切な時間だなと、毎度のことながらに感じます。もちろんカヤックはFRPという素材で、テントやら寝袋などは現代の技術や素材です。それは最新技術をもって古の時間を体験するという、一見すると矛盾するようなこと。しかしそれが実によいのです。

電磁波だって、その昔のそれに比べたら遥かに現代人は浴びまくっていて、放射能だってとんでもなかったりしているわけです。そこに、体にとって「本来はそうだった」静かな音の響きの中にいき、「本来はそうだった」夜は暗いという中で過ごす。きっとそれでいいんだなって....何に書いてあるわけでもないけど感じるのです。それが感じられるだけでも、キャンプに来てよかったと思います。

もしもいま世界中で電気がとまったら、まず夜はロウソクや灯油ランプでしょう。懐中電灯やヘッドランプは電池があ限りは使えますが、電話なし、テレビなし、ラジオなし。下手すると流通の途絶。水や食料はどうしましょうか。スーパーで品物が底をついたら、あとは自然界から狩猟採集でしか食料はてにはいりません。そのとき、都心の方々は真っ先に窮地に陥るでしょう。それはきっとあっという間のこと。それほど都市部は、まるで人工呼吸器を外されたら生きられない意識不明の入院患者のようなものだと思います。電気への依存から自立していくことは難しいかもしれませんが、数年電気が途絶えたときのことを、考えておくにもキャンプ体験は役立つものだと思います。

そんなとき、昔の人はどうやって水を手にしていたか、食料を手にしていたか、風雨から身を守っていたか、病気や怪我にどう対処していたか...。こうしたことを考え直し、見直し、学び直していく。また、そうしたひらめきや直感の訪れに心開いておく。太古の昔にタヒチからハワイへ、星だけをみて渡った人類の祖先がいたように。それが、来年からの大切な指針になるように思います。

おっとっと、だいぶ長くなってしまいましたね。たまに私もこういうシリアスモードのスイッチが入りますがご容赦ください。





焚き火と月が夜を染める。


東にも西にも面した場所は浅い日も夕日も美しい。


岬は聖地と言われますが、ここもそうなのでしょう。
開発はしないでほしいものです。


スープとご飯は別に作るのですが、
ぶっかけても美味しいのでついやってしまいます。


いつもは陸地からは立入禁止地区ですが、小学生が遠足に。
我々を見るけるなり 「 人だ!! 」 と叫んでました。人だよ。


こんな場所で歯磨きです。海水は歯茎も引き締まります。


今回は丘でのんびりでしたので、極めて少ない貴重なパドリングシーン。


そして名残惜しくもときた港へ。与えられた天候条件でできることをやり、
存分に楽しむ。ときにはこんなのんびりキャンプもありですね。

  
Posted by gon at 19:20Comments(0)キャンプツアー