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2015年10月15日

登校拒否の息子に思う


秋も深まり、すっかり涼しくなった今日このごろ。ちょっといろいろと問題に直面していましたのですっかりブログがお留守となっておりました。妻が入院したり、地元区長も倒れて入院したり、小4の息子が登校拒否になったり、なんだか周りが穏やかでなかったのです。大人の病気は大人自身の問題として解決していくわけですが、息子についてちょっと思うことがありました。長文失礼致します。

登校拒否の息子に思う


ちょうど妻が入院し、不在になっている間に彼はだんだんと学校を億劫がるようになりました。もともと「つまらない」「日記に書くことなんか何もない」とかいって1日を辛い時間として過ごしているようでした。我慢していたのでしょう。そして妻の発病を境にいっきに精神的に参っていったのかもしれません。

始めのうちは妻も私も、半ば強引に叱りつけ、力づくで登校させようとしたり、宿題をさせようとしていました。しかしそれはまるで傷をさらに爪でむしるようなもので、ますます息子は心閉ざしていったのです。時折すさまじく鋭い目で大人を睨み返すとき、彼の心の痛みを私は感じました。そしてそれをわかってやれなかったことを素直に謝りました。以後、私には素直に接してくれるようになりました。しかし9月半ばから始まった登校拒否は、10月の今も続いています。


<大人への絶望が若者を凶器にする>
今でも時折息子を怒鳴りつける妻を見て思います。この世界は、あまりにも子供の話を聞こうとしていません。大人が我の押しつけを一方的にしています。学校の教育にしても、先生が教え、子供はただ受け取り、つめ込むしか無い立場です。学校がもし、家庭で受けた痛みや悲しみを聞いて、一緒に泣いてくれるような存在なら、それを一番に大切にしてくれる場所なら、そここそ子どもたちの居場所になり、救いになり、駆け込み寺になるのではないでしょうか。

もちろん家庭の、特に女親がそういう存在であるべきです。子どももそれを一番望んでいるはずです。しかし鬼のような教育ママの恐ろしさの前にそれは望むべくもないのです。こんなとき、息子をかばおうと割って入る父親の話など母親は聞く耳ももたないどころか、父親まで攻撃の的になることがどの家庭でも殆どでしょう。

こうして家でも細々と圧力をかけられ、両親の、特に母の厳しさ、恐ろしさに絶望して宿題をする気力もうせ、挙句学校でも宿題をしてこなかった罰を受けるだけ。それでは学校に行くはずがありません。子供にとって厳しい親からも、学校からも心を壊されないようする最後の抵抗が、登校拒否ではないかと思います。そんな風に社会に失望した若者たちが心の隙をつかれ、奇怪な新興宗教にはまってテロ事件を起こしたり、ISISの戦闘員に志願して凶暴性を爆発させ、復讐をはたしていくのです。こうした想いは自分の心を深く探れば、誰もが持っていることに気がつくことでしょう。

<誰もがカウンセラーでなくてはならないのでは?>
こんなとき、親も学校の先生も困って外部の専門家につなぎます。相談員とか、カウンセラーのような人です。これこそ、私は疑問です。なぜ、親や先生がカウンセラーになれないのかと。なぜ、直接関わっている大人たちが子供の心の叫びを聞こうとしないのかと。以前川崎で、遊び仲間にカッターで切られ、河原で死んでいた少年の事件が報じられていました。悲しいことですが、事後の様々な報道をみても、子供の心の闇の叫びを聞こうという意見は一つもなかったように思います。専門家に任せる限り、自分たちはそれをしないでしょう。その姿勢に子供は増々絶望し、人間不信に陥り、爆発していくのです。

<教えつめ込むのではなく、ともに痛み、悦びも分かちう>
子供を頭ごなしに扱うのは、自分がそれをする権利があるという傲慢さからです。それは私自身痛切に反省しました。中にはそういう扱いをされても壊れない子もいるでしょう。しかし、それは基本的信頼関係ができていればの話です。また人それぞれに心の状態があります。重篤な精神上の問題を抱えている時に一方的な扱い方をされたら、ひとたまりもありません。うつ病の人に頑張れと励ませば、自殺をしてしてしまうのと似ています。それに、自分自身の心を深く見つめて内省すると、他人を裁く資格など無いことがすぐに分かります。そうした思いになってこそ人に謙虚な気持ちで接することが出来ます。押し付けるより受け止める気持ちになれるのです。

そして他愛のない会話や楽しみを共にすることが大切だと感じます。いま流行りのマンガやアニメの話題でもいい。好きな遊びやスポーツでもいい。同じ世界を、気持ちを共有して一緒に生きていこうとすることこそ、彼らの救いとなるのだと思います。ともするとテレビの話題、マンガやアニメや遊びは「勉強の役にたたないもの」として子どもたちは否定的な扱いをうけるでしょう。しかしそれで何も始まりません。いいんです、ワンピースに出てくるキャラクターの話とか、クワガタやカブトムシの話とか、大いに一緒に大切にしていくことが大切です。やがて否定せず、急がせず接していると、子供の方から心をひらいてくれます。するとあんたそんなにたくさんのことを考えていたんだねとか、そんな事が苦しかったのかとか、こちらも驚かされます。さらに驚かされるのは、ほんとに子供って優しいなってことです。こどもは心にいっぱい素敵な宝物を持っています。才能もそうです。それを引き出してあげられるのは、無条件の受容と、ともに歩むという嘘のない誠実な姿勢だけではないでしょうか。


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Posted by gon at 12:38│Comments(6)こども
この記事へのコメント
いつも楽しみに 拝見してました。 久々のアップで やったー!でしたが...
大変ですね。 どう 書き込みしたら よいのか 書いては消しての繰り返し
ありきたりですが 時間が味方してくれます。 よく食べ よく寝て これが出来てたら 光は少しずつ見えますよ。 てげてげに キバリショリ!お子さんに違う扉見せてあげてください。

<いつも 素敵な写真 奄美の風を ありがとうございます。故郷を慈しんでもらってとても嬉しいです> 
Posted by 昔の奄美っ子 at 2015年10月16日 18:21
昔の奄美っ子 さまへ

コメントありがとうございます。いろいろ苦悩しながら生きているのに、海が綺麗ですみたいな記事ばかり書くのは嘘のようで、正直に直面している問題を投稿させて頂きました。そしてご助言ほんとうにありがとうございます。読んでいてお気持ちが心にが流れ込み、涙が出てきました。嬉しいです。

学校にいかれなくてもいいのです。彼は活き活きと私と会話し、ともに遊び、呼吸し、食べ、寝て、生きています。ともすると学校こそ正義みたいな世界ですが、それならば「義務教育」を経ない昔の祖先はみんなろくでなしだったのか、と言いたい。みな今の教育なんかない時代に育ってきた人々の子孫です。その頃から命は続いています。

先日、東大の順位がアジアでも急落したという報道を見ました。そこにいる学生たちはちょうど学習塾熱が加熱した時代に小学生だった世代です。学ぶことにうんざりする教育がされている今の日本に、創造力や応用力をもった人材は育たないのではないでしょうか。それは日本に未来が無いことを物語っています。ひょっとすると息子は、そんな学校の雰囲気を敏感に察知しているのでないかとさえ思います。

なんて長々と失礼いたしました。
子供には無限の可能性があります。私は、今回の息子の訴えを謙虚に受け止め学び、彼とともに人間に本来あるべき教育や人生を追求していくことを決意いたしました。

長谷川
Posted by gongon at 2015年10月16日 21:29
たつや旅館 ETSUKOです
元気でさえいてくれれば・・・(身も心も)と祈っております
家族が不調だと、落ち込んでしまいますが
最初は、作り笑顔でも、声を出して笑っていると
何とか乗り越えられるハズ

私も移住者で、島に住んで10か月ほどで
夫が、くも膜下出血。。。
でも島出身の夫には、友人が沢山いて
ずいぶん助けられました
が、実際は1人で何でもしないといけない
身も心もボロボロ
だけど、病院でも何故か笑っていたんです

ゆっくり家族仲良く笑って過ごせますように。。。

また、ご宿泊お待ちしておりますよ~
Posted by ETSUKO at 2015年10月19日 00:44
コメントありがとうございます。

ご主人、くも膜下出血って…、そんな事になってたんですね!でも病院でも笑っているというその姿が目に浮かびます。

息子は不思議と沈んでいて休んでいるのではなく、無邪気に元気に休んでいます 笑 。よほど学校にも勉強にもうんざりしてたのだと思います。とにかく強制的詰め込み教育と習い事の嵐で遊ぶことも出来ず、疲れきっているはずです、いまの子どもたち。気長に、息を長く、お互いに進んでいきましょう。お気遣いありがとうございました。

長谷川
Posted by ETSUKO 様 at 2015年10月19日 06:12
長谷川さん お疲れ様です

私は4人の子供を育てていますが 叱るということは本当に難しいです

長男の時 激しく叱ったことを今でも鮮明に覚えていて
何故あんな叱り方をしたのか 
もっと違う接し方が出来なかったのか
今でも長男に対して申し訳なく思ってしまいます

子どものためを思って・・・怒鳴ったのか

自分がイライラして・・・怒鳴ったのか

やはり 自分がイライラしての行動でした


二人目 三人目 4人目と 様々な体験をして
その体験は ほとんどが
「子供の成長は 親の思うようにはならない・・・」
ということなのですが

そのような体験を経て 親として決して行ってはいけない
態度や言葉に ようやく 気づいたのが 50歳を過ぎてから・・・
ほんまに 遅すぎですね

子どもは社会が育てる 
その社会が成熟するために大人は行動する
その環境が壊されないように大人は行動する

いま そのように思っています
Posted by aoyama at 2015年10月20日 17:43
aoyama さま

コメントありがとうございます。

私は、こうしたことは大人が成長しなければいけないことを痛切に感じさせてくれるありがたい試練だと受け止めています。きっとaoyamaさまも怒鳴ってしまった後の自己嫌悪、後悔や自責の念に苦しまれたことでしょう。私もつい、学校に行こうとしない息子に出て行けと怒鳴ってしまい、閉めだしてしまったのです。そしてさとうきび畑で天をあおいで泣いているところ教頭先生が見つけてくれたのです。母が怖ければ父が受け止めてやる存在になるしか無い…。そんな風に思って接していたのに息子に怒ってしまったことを悔い、素直に「さっきは酷いことしてすまなかったね」と謝りました。すると「僕はね…」と、いろいろと心の内を話してくれたのです。こっちが泣きそうになりました。

一番いけないのは大人の都合です。「教育」という名のもとに一方的、自己中心的、独善的、そして冷酷になっていることに気が付かされました。こちらこそ、思いやりとはないか、愛とはなにか、育つとはなにかと、教えてもらえたのです。大人は子供にも悖る存在になってしまいました。謙虚に、彼らの心の叫びに寄り添っていきます。

貴重な経験談を頂き、ありがとうございました。

長谷川
Posted by gon at 2015年10月21日 17:55
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