2013年05月21日
南西諸島航海記 最後の横断 壁のような大波群
2000年7月24日 徳之島〜奄美大島 南の風のち南東の風強く 波3m
最後の横断 壁のような大波群
飲み会にもならず、出会いもなく、久しぶりに静かなテント泊だった徳之島。早朝から髪なびく風を感じながら、出港の支度を整える。そしていよいよ最後の横断が迫る。目指は奄美大島だ。距離の長さから島影がみえないことも想定し、念入りに方位、距離を計っておいた。直感の知らせは大丈夫だと言い続けている。そしてやすらかな休息をさせて頂いた徳之島、そのありがたい御縁に再び感謝をし、外洋へと旅立つ。

亀津の港をでると、それはそれは時化ていた。カヤックはばっちゃんばっちゃんと叩きつけられるように波を切り裂いていく。いちどすぐ近くを漁船が通った。激しい船の揺れ方は時化の大きさを物語っていた。が、行く。
<風が波を育てる>
風は、その走る距離が長いほど波を大きく育てることをご存知だろうか。どんな強風も水の上を走り初めの頃は波はあまりない。それがやがて5km、15km、30kmと走るにつれ、波は巨大化していく。この日、1時間、2時間と漕いでい進むにつれ、うねりは巨大化していった。おそらくこの旅で漕いだもっとも大きな波だっただろう。巨大としかいいようのない谷から、おおきくなだらかな丘を見上げる。そして次はその丘のてっぺんから、雄大な谷を見下ろす。時にはその斜面をそりのように滑走し、あまりの速さに怖くなって自分でブレーキをかける。そんな時間が続いた。曇り空、海はダークブルーにそまり、1時間程漕ぐとはるか前方に請島の影が見えてきた。もう後には戻らない。
<肩口から崩れる追い波>
壁のような追波群のなか、それでも1時間に1回は休憩。上下に揺さぶられるなか、油断はできない緊張が走る。パドルをコードでつないでバナナを食べる。すると急に肩口から白波が崩れて襲いかかる。気がつくとバナナの上の部分だけ失くなっていたりする。なので、バナナを頬張る時は常に右後方のうねりをみながら、タイミングよくパクっと食べるのがコツだった。
<シーカヤック、ミサイル発射!>
碧い蒼い外洋で、度々トビウオが逃げるように飛んでいく。徳之島〜奄美の区間は特に多かった。少し離れた場所から3、4匹がひゅ〜っと飛んでいく。30mは飛行しているだろう。すると今度はカヤックの反対側からまた飛ぶ。長いやつは最大で150mほど飛ぶらしい。やがてどんどん数が増え、右から5匹、左から5匹、今度は同時に10匹と、連続飛行祭りが始まる。しまいにはカヤックのすぐ舳先から左右前方に飛んでいく。その様はまるでシーカヤックからミサイルを発射しているようで壮観だった。孤独なはずの外洋航海も、トビウオたちの饗宴で飽きることがない。
こうして壁のような追波群に飛ぶようにのって進み、ぐんぐんと奄美に近づいていった。
<不思議な幻との対峙>
約7時間は漕いだ辺りで、請島を通過。請島水道の出口は、まるで巨大な激流ように流れている。強い風、潮の流れ、大きな波もすべて後方からカヤックを押し、動く歩道のごとく進んでいく。そして請島水道を越え、加計呂麻島の断崖絶壁が迫った。精神は研ぎ澄まされ、体は燃えるように暑く燃焼し、大時化とも呼べる海を進んでいく。すると何が起きたのか、段々と幻のようなものが見えてきた。肉眼では、土が露出した加計呂麻島の崖、濃紺な海、どんよりとした空や自分のカヤックを見ている。その一方で、もうひとつの目のようなものが過去を走馬灯の様に見つめていたのだ。
<心が浄化されていく>
かつて自分がいちばん裏切り、傷つけ、失望させたであろう人達の姿。また、自分でも一番心に後悔や自責の念をもっていた出来事。なぜあのときあんなことを言ったのか、なぜあのときこうできなかったか…。自分でもなんで今こんなものが見えるのか理解できないまま、浮かんでは鮮明にみえる幻を見つめていた。やがて、わかったよ…、わかったから…とうように、自分の未熟さや至らなさを深く受け入れていった。はからずも悲しませたり怒らせたり、失望させた人々へ、自然と深くお詫びをする気持ちになっていく。。そして自分のなかで止まってしまっていたその問題が動き出し、未熟さに気づかせてくれたことを感謝していった。次第に幻は薄れ、まるで雪が陽に当たるように心の苦しみが溶けて消えていき、暖かい光に照らされているような気分になっていく。不思議とその間も体は必至に漕ぎ続けているのだ。
段々と視界が、肉眼でみているものと一致し始める。そこは、見慣れた大島海峡の入り口だった。ついにたどり着いた奄美大島。旅を始めて24日目の、夕方の事だった。
<夢の始まりの場所へ>
壁のような大波もさすがに海峡に入れば少しは静まっていく。大島に着いた安堵は言葉にならないくらい大きかった。まずはひと休みと思い、ヤドリ浜に向かう。すると、カヤックがみえる。それは今も嘉鉄にある海辺のさんぽ社の、柳澤さんのツアーだった。

たまたま居合わせたカヤックツアーの方と記念撮影。
沖縄からきたといったら飛び上がって驚いていた。
ツアーのお客さんたちと記念撮影をし、本来のゴールに決めていた嘉鉄に向かう。嘉鉄…。カヤックを始めて間もない自分が始めて奄美を訪れたとき、思い出深い時間を過ごした場所。東京の雑踏で生まれ育った人間が、いきなり大島海峡の海のあまりの美しさにしびれてしまった大学時代。シーカヤックマラソンの前後で漕ぎ、泳ぎ、キャンプをし、いつまでもここにいたいと強く心に刻まれた時間だった。そのとき南の島を渡る旅の夢をみて、そしていま、沖縄から漕いできて浮かんでいることが夢のようだった。

ツアーメンバーと別れ、先に嘉鉄にはいる。
夢の始まりの場所への記念すべき帰還の瞬間だった。
次回、最終回「旅の終わりに」
最後の横断 壁のような大波群
飲み会にもならず、出会いもなく、久しぶりに静かなテント泊だった徳之島。早朝から髪なびく風を感じながら、出港の支度を整える。そしていよいよ最後の横断が迫る。目指は奄美大島だ。距離の長さから島影がみえないことも想定し、念入りに方位、距離を計っておいた。直感の知らせは大丈夫だと言い続けている。そしてやすらかな休息をさせて頂いた徳之島、そのありがたい御縁に再び感謝をし、外洋へと旅立つ。

亀津の港をでると、それはそれは時化ていた。カヤックはばっちゃんばっちゃんと叩きつけられるように波を切り裂いていく。いちどすぐ近くを漁船が通った。激しい船の揺れ方は時化の大きさを物語っていた。が、行く。
<風が波を育てる>
風は、その走る距離が長いほど波を大きく育てることをご存知だろうか。どんな強風も水の上を走り初めの頃は波はあまりない。それがやがて5km、15km、30kmと走るにつれ、波は巨大化していく。この日、1時間、2時間と漕いでい進むにつれ、うねりは巨大化していった。おそらくこの旅で漕いだもっとも大きな波だっただろう。巨大としかいいようのない谷から、おおきくなだらかな丘を見上げる。そして次はその丘のてっぺんから、雄大な谷を見下ろす。時にはその斜面をそりのように滑走し、あまりの速さに怖くなって自分でブレーキをかける。そんな時間が続いた。曇り空、海はダークブルーにそまり、1時間程漕ぐとはるか前方に請島の影が見えてきた。もう後には戻らない。
<肩口から崩れる追い波>
壁のような追波群のなか、それでも1時間に1回は休憩。上下に揺さぶられるなか、油断はできない緊張が走る。パドルをコードでつないでバナナを食べる。すると急に肩口から白波が崩れて襲いかかる。気がつくとバナナの上の部分だけ失くなっていたりする。なので、バナナを頬張る時は常に右後方のうねりをみながら、タイミングよくパクっと食べるのがコツだった。
<シーカヤック、ミサイル発射!>
碧い蒼い外洋で、度々トビウオが逃げるように飛んでいく。徳之島〜奄美の区間は特に多かった。少し離れた場所から3、4匹がひゅ〜っと飛んでいく。30mは飛行しているだろう。すると今度はカヤックの反対側からまた飛ぶ。長いやつは最大で150mほど飛ぶらしい。やがてどんどん数が増え、右から5匹、左から5匹、今度は同時に10匹と、連続飛行祭りが始まる。しまいにはカヤックのすぐ舳先から左右前方に飛んでいく。その様はまるでシーカヤックからミサイルを発射しているようで壮観だった。孤独なはずの外洋航海も、トビウオたちの饗宴で飽きることがない。
こうして壁のような追波群に飛ぶようにのって進み、ぐんぐんと奄美に近づいていった。
<不思議な幻との対峙>
約7時間は漕いだ辺りで、請島を通過。請島水道の出口は、まるで巨大な激流ように流れている。強い風、潮の流れ、大きな波もすべて後方からカヤックを押し、動く歩道のごとく進んでいく。そして請島水道を越え、加計呂麻島の断崖絶壁が迫った。精神は研ぎ澄まされ、体は燃えるように暑く燃焼し、大時化とも呼べる海を進んでいく。すると何が起きたのか、段々と幻のようなものが見えてきた。肉眼では、土が露出した加計呂麻島の崖、濃紺な海、どんよりとした空や自分のカヤックを見ている。その一方で、もうひとつの目のようなものが過去を走馬灯の様に見つめていたのだ。
<心が浄化されていく>
かつて自分がいちばん裏切り、傷つけ、失望させたであろう人達の姿。また、自分でも一番心に後悔や自責の念をもっていた出来事。なぜあのときあんなことを言ったのか、なぜあのときこうできなかったか…。自分でもなんで今こんなものが見えるのか理解できないまま、浮かんでは鮮明にみえる幻を見つめていた。やがて、わかったよ…、わかったから…とうように、自分の未熟さや至らなさを深く受け入れていった。はからずも悲しませたり怒らせたり、失望させた人々へ、自然と深くお詫びをする気持ちになっていく。。そして自分のなかで止まってしまっていたその問題が動き出し、未熟さに気づかせてくれたことを感謝していった。次第に幻は薄れ、まるで雪が陽に当たるように心の苦しみが溶けて消えていき、暖かい光に照らされているような気分になっていく。不思議とその間も体は必至に漕ぎ続けているのだ。
段々と視界が、肉眼でみているものと一致し始める。そこは、見慣れた大島海峡の入り口だった。ついにたどり着いた奄美大島。旅を始めて24日目の、夕方の事だった。
<夢の始まりの場所へ>
壁のような大波もさすがに海峡に入れば少しは静まっていく。大島に着いた安堵は言葉にならないくらい大きかった。まずはひと休みと思い、ヤドリ浜に向かう。すると、カヤックがみえる。それは今も嘉鉄にある海辺のさんぽ社の、柳澤さんのツアーだった。

たまたま居合わせたカヤックツアーの方と記念撮影。
沖縄からきたといったら飛び上がって驚いていた。
ツアーのお客さんたちと記念撮影をし、本来のゴールに決めていた嘉鉄に向かう。嘉鉄…。カヤックを始めて間もない自分が始めて奄美を訪れたとき、思い出深い時間を過ごした場所。東京の雑踏で生まれ育った人間が、いきなり大島海峡の海のあまりの美しさにしびれてしまった大学時代。シーカヤックマラソンの前後で漕ぎ、泳ぎ、キャンプをし、いつまでもここにいたいと強く心に刻まれた時間だった。そのとき南の島を渡る旅の夢をみて、そしていま、沖縄から漕いできて浮かんでいることが夢のようだった。

ツアーメンバーと別れ、先に嘉鉄にはいる。
夢の始まりの場所への記念すべき帰還の瞬間だった。
次回、最終回「旅の終わりに」
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