2013年05月10日
南西諸島航海記 沖縄本島上陸
2000年7月16日 東風やや強く 波? 沖縄本島へ上陸

<怪しいクルーザー現る>
早い潮流の伊江水道を渡り、沖縄本島に接近していく。対岸はちょうど名護湾に近い場所。沖縄サミット会場の至近距離だ。サミットが行われている前後数日に渡り、沖縄全土で警察による厳重な警戒がしかれていたのは周知の通り。町中にも海沿いにも私服警官が多数配置され、ダイビング警官までいて水中も監視していたらしい。推測するにシュノーケリング警官やシーカヤック警官もいたのではないだろうか。また、ビーチでの観光客に化け、まるでゴルゴ13のようなやつがいたかもしれない。パラソルの下で横になってトロピカルドリンクを片手にする。そして傍らには美女がいて、水着だけど腰には拳銃のベルトが巻いてある、なんていう姿を想像してしまう。それはそれで楽しい。
いよいよ名護の湾近くの岸壁に近づくと、ダイビング船や漁船のような船が数隻いた。サミット期間中はダイビング業者は営業が禁止されていた。しかしやってしまうのだ、みんな。ふと沖から、大きなクルーザーがこちらに向かってきた。こんな時にこんな場所をクルージングなんて、それこそ叱られそうだ。クルーザーはぐんぐん接近してきた。……。あれ、もしかしてあれは…。直感が走る。そしていよいよ私のカヤックから20mほどまで来た時、クルーザーは「警視庁」とかかれた大きな垂れ幕をどーんと掲げた!! しまった〜!! 取り締まられる〜!!、 と冷や汗をかいてクルーザーの直ぐ横を漕いで進む。あれ? 何も言われない。無事に通過して後方に逃げてこられてしまった。どうなってるのか。見ていると、私のもっと岸寄りにいたダイビング船にまっすぐ向かっていき、叫んでいる。シーカヤックなど目に入らず、ダイビング船をマークしていたのだった。危機一髪。私はシーカヤックマラソン並の猛ダッシュでその場を去っていった。

ああ疲れた、ちょっと上がろう。ちょっと泳ごう。
これができるのは沿岸航海ならでは。
向かい風がきつく、度々上陸して休憩した。
横断ではないので泳ぐなどして体を冷やせるのも嬉しい。

木造サバニとシーカヤック。どちらも美しい。
<米軍キャンプ>
激しい向かい風に歯を食いしばって漕ぎ、ようやく辺土名付近の岸よりのコースに入る。ふと、シーカヤックで漕ぐ人を発見。手をふってアピールするが知らんかぷりの様子。ダッシュして後ろから追った。彼らが岬を曲がり見えなくり、自分も5分ほどの時間差で回り込む。するとそこは、何と米軍のキャンプ地だった。明らかに沖縄の住宅街とは一線を画す独特の施設群をみて、「異国」を強く感じた。カヤックに乗っていた人達も遠目からもでかい人だった。米軍、もしくはそのご家族だろう。以前友人が、このあたりの米軍キャンプのビーチでテントを張らせてもらおうとしたら「Get out from here!」といって追い返されたらしい。へとへとだったが、ここだけはやめようと思って頑張って進む。
<疲れきってたところに友現る>
本来なら最北端の集落「宜名真」へ行く予定が、思いのほか向かい風に苦戦。消耗しきって辺土名(へんどな)港にあがった。かかった時間は9時間。コンディションがよければ50kmは漕げる時間だが、この日は34km。まあいいか。すると、慶良間でも会ったカヤックの大先輩、大城さんが港まで駆けつけてくれた。海上からも度々連絡を取り合い、那覇からわざわざ来てくれたのだ。差し入れにもらったフライドチキンを一瞬で食べつくす。さらにめちゃくちゃ空腹だったので、ちかくの食堂で沖縄のソーキそばをごちそうになった。へとへとなときにはこんなサポートが骨身にしみてありがたい。朝、「宜名真」に行くと言っていたのでそこで待っていたらしい。途中であがったと聞いてダッシュでもどってきてくれたのだ。頭がさがる。

今は「漕店」というカヤックガイドツアーの代表、大城さん。
このときは何してたっけ? とにかく頼もしい先輩である。

最高にうまかったそーきそば。ごちそうさまでした。

そしてスロープにてテント泊。
やがて夕方になり、大城さんと別れて港へ。なんだか久しぶりのテント泊のような気がする。翌朝、カヤックの上に置いておいたオークリーのサングラスが消失。盗難と思われる。そういえば夜遅くまで、バイクで高校生のような輩がいつまでも港で騒いでいた。う〜む、離島のおおらかさにすっかり慣れ、油断していた。人が多い場所ではそれだけ貴重品管理に神経を使わなければならないようだ。
次回、いよいよ沖縄県最後のキャンプ地、「奥」へ。さすらいのバイク老人、
そして自転車乗りと出会う。

<怪しいクルーザー現る>
早い潮流の伊江水道を渡り、沖縄本島に接近していく。対岸はちょうど名護湾に近い場所。沖縄サミット会場の至近距離だ。サミットが行われている前後数日に渡り、沖縄全土で警察による厳重な警戒がしかれていたのは周知の通り。町中にも海沿いにも私服警官が多数配置され、ダイビング警官までいて水中も監視していたらしい。推測するにシュノーケリング警官やシーカヤック警官もいたのではないだろうか。また、ビーチでの観光客に化け、まるでゴルゴ13のようなやつがいたかもしれない。パラソルの下で横になってトロピカルドリンクを片手にする。そして傍らには美女がいて、水着だけど腰には拳銃のベルトが巻いてある、なんていう姿を想像してしまう。それはそれで楽しい。
いよいよ名護の湾近くの岸壁に近づくと、ダイビング船や漁船のような船が数隻いた。サミット期間中はダイビング業者は営業が禁止されていた。しかしやってしまうのだ、みんな。ふと沖から、大きなクルーザーがこちらに向かってきた。こんな時にこんな場所をクルージングなんて、それこそ叱られそうだ。クルーザーはぐんぐん接近してきた。……。あれ、もしかしてあれは…。直感が走る。そしていよいよ私のカヤックから20mほどまで来た時、クルーザーは「警視庁」とかかれた大きな垂れ幕をどーんと掲げた!! しまった〜!! 取り締まられる〜!!、 と冷や汗をかいてクルーザーの直ぐ横を漕いで進む。あれ? 何も言われない。無事に通過して後方に逃げてこられてしまった。どうなってるのか。見ていると、私のもっと岸寄りにいたダイビング船にまっすぐ向かっていき、叫んでいる。シーカヤックなど目に入らず、ダイビング船をマークしていたのだった。危機一髪。私はシーカヤックマラソン並の猛ダッシュでその場を去っていった。

ああ疲れた、ちょっと上がろう。ちょっと泳ごう。
これができるのは沿岸航海ならでは。
向かい風がきつく、度々上陸して休憩した。
横断ではないので泳ぐなどして体を冷やせるのも嬉しい。

木造サバニとシーカヤック。どちらも美しい。
<米軍キャンプ>
激しい向かい風に歯を食いしばって漕ぎ、ようやく辺土名付近の岸よりのコースに入る。ふと、シーカヤックで漕ぐ人を発見。手をふってアピールするが知らんかぷりの様子。ダッシュして後ろから追った。彼らが岬を曲がり見えなくり、自分も5分ほどの時間差で回り込む。するとそこは、何と米軍のキャンプ地だった。明らかに沖縄の住宅街とは一線を画す独特の施設群をみて、「異国」を強く感じた。カヤックに乗っていた人達も遠目からもでかい人だった。米軍、もしくはそのご家族だろう。以前友人が、このあたりの米軍キャンプのビーチでテントを張らせてもらおうとしたら「Get out from here!」といって追い返されたらしい。へとへとだったが、ここだけはやめようと思って頑張って進む。
<疲れきってたところに友現る>
本来なら最北端の集落「宜名真」へ行く予定が、思いのほか向かい風に苦戦。消耗しきって辺土名(へんどな)港にあがった。かかった時間は9時間。コンディションがよければ50kmは漕げる時間だが、この日は34km。まあいいか。すると、慶良間でも会ったカヤックの大先輩、大城さんが港まで駆けつけてくれた。海上からも度々連絡を取り合い、那覇からわざわざ来てくれたのだ。差し入れにもらったフライドチキンを一瞬で食べつくす。さらにめちゃくちゃ空腹だったので、ちかくの食堂で沖縄のソーキそばをごちそうになった。へとへとなときにはこんなサポートが骨身にしみてありがたい。朝、「宜名真」に行くと言っていたのでそこで待っていたらしい。途中であがったと聞いてダッシュでもどってきてくれたのだ。頭がさがる。

今は「漕店」というカヤックガイドツアーの代表、大城さん。
このときは何してたっけ? とにかく頼もしい先輩である。

最高にうまかったそーきそば。ごちそうさまでした。

そしてスロープにてテント泊。
やがて夕方になり、大城さんと別れて港へ。なんだか久しぶりのテント泊のような気がする。翌朝、カヤックの上に置いておいたオークリーのサングラスが消失。盗難と思われる。そういえば夜遅くまで、バイクで高校生のような輩がいつまでも港で騒いでいた。う〜む、離島のおおらかさにすっかり慣れ、油断していた。人が多い場所ではそれだけ貴重品管理に神経を使わなければならないようだ。
次回、いよいよ沖縄県最後のキャンプ地、「奥」へ。さすらいのバイク老人、
そして自転車乗りと出会う。