2013年05月07日
南西諸島航海記 伊江島へ
2000年7月14日 南東の風 波1.5〜2m
伊江島へ渡る

日付、7月13日間違いです。7月14日でした。
粟国島の高台から見えた伊江島は、水面に座るようなカヤックの位置からは全く見えない。ひたすら水平線が前方にあるのみだ。粟国島後方の渡名喜島、そして数日前缶詰になった慶良間諸島が右手側にうっすら浮かんでいる。そんな遠景をみながら外洋を漕いでいると、海を渡るという感覚満点だ。そして視界はいい。目印となるのはこれら島のとの位置関係、そして、真正面から登る太陽。そう、伊江島は、粟国島からほぼ真東に近い方向にある。しかし太陽に向かうのは眩しい! サングラスが救いだ。
<右斜め方向からの波>
これまで南風に押され、気持ちいダウンウィンドできていたが、この日は右サイド、もしくは右前方からの波風。カヤックは常に揺さぶられ、スピードも落ちては出ての繰り返し。おまけに全く前方に島が見えないと進んでいるかどうかもよくわからない。しかし焦っては疲労が倍増する。もうあきらめて進んでいくしか無い。漕いで4時間ぐらいだろうか。うっすらと沖縄本島が浮かんできた。伊江島は見えない。いや、平たい島なので見えにくいのか。
<見えてからがまた長い>
伊江島が視界に入ったのは推定約5時間後。まるでヒレを出して泳ぐクジラの背中のような姿。まんなかのとんがりぼうしが特徴だ。ひとまずほっとする。さて、みえてほっとしたが、漕いでも漕いでも近づく気がしない。これは横断の錯覚。見えたことで着いたような安心感を持ってしまい、そこからまだ数十キロあることを忘れてしまうのだ。結局その後6時間ちかくかけてやっと到着。大潮も近く、逆潮流のようなものも感じていた。

ようやくはっきり見えた、とんがり帽子の伊江島。
しかしここからさらに6時間ほどかかった。

伊江島南西側の海岸に接近。
こんな岸壁ばかりでなかなか上陸できない。

リーフと石灰岩の岸壁ばかりで上陸できず、港に入る。
堤防にいた海人らしき方に声をかけ、カヤックをおかせて頂いた。

初めは、そこで作業していた1人の海人と話をしていた。大体こんな感じだ。
私 「明日早くにでていきますから、一晩港でテント貼っていいですか?。」
海人「おお、いいよ!。どこからきた?。」
私 「粟国島からです。」
海人「……。ああっ!!?? 粟国??!! これ(カヤック)でか!??。」
私 「はい、11時間もかかっちゃって…ちょっときつかったです。」
海人「ほえ〜!?!!、流れはなかったか?。」
私 「いやあ、なんか途中進まないなあって感じましたけどね〜。」
海人「おれはまたてっきり隣の海岸のホテルの前からかとおもったよ(唖然)。」
すると「面白いやつがきたぞ」といって次々電話で仲間が呼び出され、港に総勢20名近くが集合。そして石垣島の登野城並の大宴会が始まった。

来る人達がみなこの位置にたってまずカヤックをみる。そして驚いて僕を振り向いて「これできたのか!?」と同じセルフ言う。これにはついついおかしくなってしまった。

海人の酒盛り再び。それは盛大なお祭りのようだった。
「海人は海からきたやつはみんな歓迎するもんだ」。飲んでいる時にこんな言葉を言われた。これはほんとうに嬉しかった。そして海の男達の強さ、暖かさ、懐の大きさを感じ、どんどんとこちらもいい気分で酔っていく。海という同じ舞台を共有する者同士の、一献かわせば莫逆の友、というような雰囲気だった。この旅の財産は、単に海を漕いで渡ることだけじゃない。いく島々での人との出会いもまた、忘れがたいものなのだ。

そして夜は漁具倉庫で寝かせて頂いた。弾力のある網の上はベットのようで快眠。ありがたやありがたや。翌日は強風で停滞。そしてまた新しい出会いがあり、宿までバージョンアップ。旅の意外性はいつまでも新鮮だ。
次回「伊江島巨人伝説 幻の足跡」お楽しみに。
伊江島へ渡る

日付、7月13日間違いです。7月14日でした。
粟国島の高台から見えた伊江島は、水面に座るようなカヤックの位置からは全く見えない。ひたすら水平線が前方にあるのみだ。粟国島後方の渡名喜島、そして数日前缶詰になった慶良間諸島が右手側にうっすら浮かんでいる。そんな遠景をみながら外洋を漕いでいると、海を渡るという感覚満点だ。そして視界はいい。目印となるのはこれら島のとの位置関係、そして、真正面から登る太陽。そう、伊江島は、粟国島からほぼ真東に近い方向にある。しかし太陽に向かうのは眩しい! サングラスが救いだ。
<右斜め方向からの波>
これまで南風に押され、気持ちいダウンウィンドできていたが、この日は右サイド、もしくは右前方からの波風。カヤックは常に揺さぶられ、スピードも落ちては出ての繰り返し。おまけに全く前方に島が見えないと進んでいるかどうかもよくわからない。しかし焦っては疲労が倍増する。もうあきらめて進んでいくしか無い。漕いで4時間ぐらいだろうか。うっすらと沖縄本島が浮かんできた。伊江島は見えない。いや、平たい島なので見えにくいのか。
<見えてからがまた長い>
伊江島が視界に入ったのは推定約5時間後。まるでヒレを出して泳ぐクジラの背中のような姿。まんなかのとんがりぼうしが特徴だ。ひとまずほっとする。さて、みえてほっとしたが、漕いでも漕いでも近づく気がしない。これは横断の錯覚。見えたことで着いたような安心感を持ってしまい、そこからまだ数十キロあることを忘れてしまうのだ。結局その後6時間ちかくかけてやっと到着。大潮も近く、逆潮流のようなものも感じていた。

ようやくはっきり見えた、とんがり帽子の伊江島。
しかしここからさらに6時間ほどかかった。

伊江島南西側の海岸に接近。
こんな岸壁ばかりでなかなか上陸できない。

リーフと石灰岩の岸壁ばかりで上陸できず、港に入る。
堤防にいた海人らしき方に声をかけ、カヤックをおかせて頂いた。

初めは、そこで作業していた1人の海人と話をしていた。大体こんな感じだ。
私 「明日早くにでていきますから、一晩港でテント貼っていいですか?。」
海人「おお、いいよ!。どこからきた?。」
私 「粟国島からです。」
海人「……。ああっ!!?? 粟国??!! これ(カヤック)でか!??。」
私 「はい、11時間もかかっちゃって…ちょっときつかったです。」
海人「ほえ〜!?!!、流れはなかったか?。」
私 「いやあ、なんか途中進まないなあって感じましたけどね〜。」
海人「おれはまたてっきり隣の海岸のホテルの前からかとおもったよ(唖然)。」
すると「面白いやつがきたぞ」といって次々電話で仲間が呼び出され、港に総勢20名近くが集合。そして石垣島の登野城並の大宴会が始まった。

来る人達がみなこの位置にたってまずカヤックをみる。そして驚いて僕を振り向いて「これできたのか!?」と同じセルフ言う。これにはついついおかしくなってしまった。

海人の酒盛り再び。それは盛大なお祭りのようだった。
「海人は海からきたやつはみんな歓迎するもんだ」。飲んでいる時にこんな言葉を言われた。これはほんとうに嬉しかった。そして海の男達の強さ、暖かさ、懐の大きさを感じ、どんどんとこちらもいい気分で酔っていく。海という同じ舞台を共有する者同士の、一献かわせば莫逆の友、というような雰囲気だった。この旅の財産は、単に海を漕いで渡ることだけじゃない。いく島々での人との出会いもまた、忘れがたいものなのだ。

そして夜は漁具倉庫で寝かせて頂いた。弾力のある網の上はベットのようで快眠。ありがたやありがたや。翌日は強風で停滞。そしてまた新しい出会いがあり、宿までバージョンアップ。旅の意外性はいつまでも新鮮だ。
次回「伊江島巨人伝説 幻の足跡」お楽しみに。