2011年09月27日
豪雨から一夜
早朝5時にフェリーで港についた妻と子供たち。しかし道路冠水や通行止めのためしばらく待つ。7時頃に通りに出ると、家々の人達が互いに面食らって出てくる。無事を確認し、被害状況などを話し合う。やがて8時30分頃に「名瀬方面への通行が可能になりました」と防災放送がはいる。すかさず向かう。

すさまじい濁流が海へ

明るくなってみるとカヤックが庭のものを守っていました。
ところどころの土砂現場に昨年同様ぎょっとして冷や汗をかく。あのまま4時頃に無理して向かっていたらこの下敷きだった?という戦慄がよぎる。原ハブ屋まえは歩道を走っての片側通行。ばしゃ山村も駐車場を通っての迂回。道路は濁流が山から横切り、まだそのままの土砂などはオフロードのように踏み越えて前進。ときおり高くあがる水しぶきは、パリダカールラリーでもしているのかという気にさせられる。龍郷のりゅうゆう館への道が陥没。役場前も水は引いていたが、凄まじい冠水を想像させる泥の後。

原ハブ屋前。昨年とは別の箇所が崩落。

龍郷町役場前。一面泥の海です。

島豆腐屋前。濁流を遡る。
名瀬の市内に入ると意外にもスムーズに新港に到着。実に船到着から5時間後。ようやく家族と合流。そして帰宅後は周辺道路や自宅の掃除に追われた。
冷静に観察すると、浸水の状況が見えてきた。わが家、高い場所で地面から床まで75cm。そして浸水は高い所で65cm程だった。ものの10cm背中の下が川になっていたとは…。そういえば寝付いた12時頃から少したって、隣の家の犬が殺されるかのような鳴き声をしていたこと、庭で不振な物音がして犬が吠えたことなど、何かがおきているという気配はあったのだ。しかし気がついたら水が引いていたなんていう程度でよかったと、胸をなでおろす。でもハンモックで熟睡だったら、たとえ床上浸水していても気づかなかったかな…。

浸水の高さがくっきりと。
すさまじい濁流が海へ

明るくなってみるとカヤックが庭のものを守っていました。
ところどころの土砂現場に昨年同様ぎょっとして冷や汗をかく。あのまま4時頃に無理して向かっていたらこの下敷きだった?という戦慄がよぎる。原ハブ屋まえは歩道を走っての片側通行。ばしゃ山村も駐車場を通っての迂回。道路は濁流が山から横切り、まだそのままの土砂などはオフロードのように踏み越えて前進。ときおり高くあがる水しぶきは、パリダカールラリーでもしているのかという気にさせられる。龍郷のりゅうゆう館への道が陥没。役場前も水は引いていたが、凄まじい冠水を想像させる泥の後。
原ハブ屋前。昨年とは別の箇所が崩落。
龍郷町役場前。一面泥の海です。
島豆腐屋前。濁流を遡る。
名瀬の市内に入ると意外にもスムーズに新港に到着。実に船到着から5時間後。ようやく家族と合流。そして帰宅後は周辺道路や自宅の掃除に追われた。
冷静に観察すると、浸水の状況が見えてきた。わが家、高い場所で地面から床まで75cm。そして浸水は高い所で65cm程だった。ものの10cm背中の下が川になっていたとは…。そういえば寝付いた12時頃から少したって、隣の家の犬が殺されるかのような鳴き声をしていたこと、庭で不振な物音がして犬が吠えたことなど、何かがおきているという気配はあったのだ。しかし気がついたら水が引いていたなんていう程度でよかったと、胸をなでおろす。でもハンモックで熟睡だったら、たとえ床上浸水していても気づかなかったかな…。
浸水の高さがくっきりと。
Posted by gon at 09:48│Comments(0)
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