2014年08月29日
スタンドバイミーの世界へ
「子どもたちの冒険」続編
美しい海で昼間に遊びまくった後、ようやく日も傾いて夕方に。風も涼しくなり、心地よい浜辺。テントも張り、焚火を起こし、夕飯の支度へ。しかしまだエネルギー有り余る隊員たち。遊びパワーは夜の部にもさらに炸裂するのでした。

テントを張り、寝床を確保。どこに誰が寝るとかいちいちもめるところがまた、小学校の林間学校とかを思い出させてくれます。

銛で突いたカワハギで味噌汁をつくります。

もう一匹の「ヒキ」はそのままご飯と炊きます。

疲れてことんと寝たしまった1年生のM君。そりゃそうでしょ、という激しい遊び方でした。ちなみに彼は2mは平気で潜り、4mはあろうかという場所もライフジャケットなしで平気で泳いでいました。特に誰かに教わったわけでもないそうです。島人の血でしょうか。将来が楽しみです。

夕飯後、目を覚ましたM君も加わってまだ遊びまくる子どもたち。命ある限り遊ばずに何とするか、という意気込みが伝わってきます。

暗くなり、お楽しみ花火タイム。しかし何なんでしょう。火を楽しむのではなく、何かを攻撃して楽しんでいます。

やがて焚火を囲みながら陶酔の時間。あまり大人面せず、ちょっと離れて見ていました。すると自分たちで薪をくべたり、火を大きくしすぎないようにしたり、いろいろとやっています。ちょっと火傷しそうになったり、煙にまかれて咳き込んだり、いい経験です。危ないから全部ダメではなく、小さな失敗や怪我はよし。なんとかなる範囲で冒険させる。それが私の信条です。

夜8時もなればすっかり辺りは暗くなります。電気のない夜はいつになく子どもたちを興奮させていました。遠くでみてたら、何やら子どもどうし悩み事を話し合っています。「作文終わった?」「おれはまだ…」。どうやらいま一番深刻な悩み、それは夏休みの宿題のようでした。わかります。会話の内容はともかく、なんかその様子は、映画スタンドバイミーを彷彿とさせるものでした。
やがて夜もふけていきます。辺りは見えず、焚火だけが光です。寝たくても真っ暗なテントは恐いようで、寝ようとしますが、すぐに出てきてしまいます。テントに入ったり焚火の私のところにきたりを繰り返していました。まあ、好きなとこで寝なと言ってほっときました。

夜9時半、静かになったと思ったら、とうとう3人野宿です。いいですねえ、アメリカ西部開拓史みたいですね〜。この後、雨が振りそうだったので3人をタープの下にひとりづつ運びました。しかし起きてはテントに行き、また戻りを繰り返し、まともに寝たのが結局11時ごろでしょうか。さすが初めてのキャンプ。興奮しちゃったようです。

仕事ではないのでゆっくり寝ていようと思ったら、6時頃子供たちに起こされてしまいました。朝から泳ぎたいとかもう大騒ぎです。仕方ないので急いで朝食をつくりました。眠くないのか?

ちょっと火を入れすぎだったかな、ベーコンエッグプレート。

弟くんはまだ寝ていましたが、兄ちゃんたちは潮歯磨き。

そして朝のひと泳ぎ後、いよいよヘブンビーチを後にする時がきました。「もっといたい〜!!」とか「魚つきたかった〜!!」とか、だだこねまくりでしたがそのくらいで去るのがまたよいのだよ。

帰りもまた3年生2人チームに漕がせてみました。行きよりもよっぽど自力で頑張って漕いでいました。さすがにまたロープで補助でしたが、あんな調子で成長してほしいものです。

短いような長いような1泊2日の初体験キャンプ。こうして無事上陸して終了しました。120%全力でとばしていたのと、興奮で夜あまり眠れていないせいでしょうか、お腹すいたから早くお昼食べて家に戻りたい、とのこと。予定を早めて帰還しました。いやいや、それにしてもよく遊び、頑張りました。
息子も友達兄弟も、あんな場所は初めて行ったことでしょう。今回、島の素晴らしさ、美しさをまさに「体験」してきたキャンプ。島の海は綺麗だとか、火や夜の闇、星空の神秘的な素晴らしさは知識でいくら言われても理解できません。「体験」こそがひとの命の一部になっていき、生きる力となるでしょう。いつか彼らが大きくなり、悩み、行き詰まり、迷い苦しんだ時、思い出してほしいと思います。あのとき友達と過ごした海や浜、いっしょに見ていた焚火の火、真っ暗な夜の闇と満点の星空、夕焼けや朝焼けの美しさ、体いっぱい感じた水や風や砂…。そしてその一部のように息づく自分や友人の命の鼓動…。そんな体験の宝があるかぎり、きっとどんなことも乗り越えていけるような気さえしてきます。
彼らは身体こそ小さいですが、立派な大人でした。無限のパワーを持って、今を全力で走りぬく。まるで明日がだれにでも同じようにくるとは限らない…。それを誰よりも理解していて、後悔しないように生きているかのようでした。昔自分もああだった…。もしかしたら、大人たちが子どもを先生として教えられることのほうが多いのではないかと思います。ありがとう小さな隊員たち。またいつか一緒に、探検にでかけましょう。
美しい海で昼間に遊びまくった後、ようやく日も傾いて夕方に。風も涼しくなり、心地よい浜辺。テントも張り、焚火を起こし、夕飯の支度へ。しかしまだエネルギー有り余る隊員たち。遊びパワーは夜の部にもさらに炸裂するのでした。

テントを張り、寝床を確保。どこに誰が寝るとかいちいちもめるところがまた、小学校の林間学校とかを思い出させてくれます。

銛で突いたカワハギで味噌汁をつくります。

もう一匹の「ヒキ」はそのままご飯と炊きます。

疲れてことんと寝たしまった1年生のM君。そりゃそうでしょ、という激しい遊び方でした。ちなみに彼は2mは平気で潜り、4mはあろうかという場所もライフジャケットなしで平気で泳いでいました。特に誰かに教わったわけでもないそうです。島人の血でしょうか。将来が楽しみです。

夕飯後、目を覚ましたM君も加わってまだ遊びまくる子どもたち。命ある限り遊ばずに何とするか、という意気込みが伝わってきます。

暗くなり、お楽しみ花火タイム。しかし何なんでしょう。火を楽しむのではなく、何かを攻撃して楽しんでいます。

やがて焚火を囲みながら陶酔の時間。あまり大人面せず、ちょっと離れて見ていました。すると自分たちで薪をくべたり、火を大きくしすぎないようにしたり、いろいろとやっています。ちょっと火傷しそうになったり、煙にまかれて咳き込んだり、いい経験です。危ないから全部ダメではなく、小さな失敗や怪我はよし。なんとかなる範囲で冒険させる。それが私の信条です。

夜8時もなればすっかり辺りは暗くなります。電気のない夜はいつになく子どもたちを興奮させていました。遠くでみてたら、何やら子どもどうし悩み事を話し合っています。「作文終わった?」「おれはまだ…」。どうやらいま一番深刻な悩み、それは夏休みの宿題のようでした。わかります。会話の内容はともかく、なんかその様子は、映画スタンドバイミーを彷彿とさせるものでした。
やがて夜もふけていきます。辺りは見えず、焚火だけが光です。寝たくても真っ暗なテントは恐いようで、寝ようとしますが、すぐに出てきてしまいます。テントに入ったり焚火の私のところにきたりを繰り返していました。まあ、好きなとこで寝なと言ってほっときました。

夜9時半、静かになったと思ったら、とうとう3人野宿です。いいですねえ、アメリカ西部開拓史みたいですね〜。この後、雨が振りそうだったので3人をタープの下にひとりづつ運びました。しかし起きてはテントに行き、また戻りを繰り返し、まともに寝たのが結局11時ごろでしょうか。さすが初めてのキャンプ。興奮しちゃったようです。

仕事ではないのでゆっくり寝ていようと思ったら、6時頃子供たちに起こされてしまいました。朝から泳ぎたいとかもう大騒ぎです。仕方ないので急いで朝食をつくりました。眠くないのか?

ちょっと火を入れすぎだったかな、ベーコンエッグプレート。

弟くんはまだ寝ていましたが、兄ちゃんたちは潮歯磨き。

そして朝のひと泳ぎ後、いよいよヘブンビーチを後にする時がきました。「もっといたい〜!!」とか「魚つきたかった〜!!」とか、だだこねまくりでしたがそのくらいで去るのがまたよいのだよ。

帰りもまた3年生2人チームに漕がせてみました。行きよりもよっぽど自力で頑張って漕いでいました。さすがにまたロープで補助でしたが、あんな調子で成長してほしいものです。

短いような長いような1泊2日の初体験キャンプ。こうして無事上陸して終了しました。120%全力でとばしていたのと、興奮で夜あまり眠れていないせいでしょうか、お腹すいたから早くお昼食べて家に戻りたい、とのこと。予定を早めて帰還しました。いやいや、それにしてもよく遊び、頑張りました。
息子も友達兄弟も、あんな場所は初めて行ったことでしょう。今回、島の素晴らしさ、美しさをまさに「体験」してきたキャンプ。島の海は綺麗だとか、火や夜の闇、星空の神秘的な素晴らしさは知識でいくら言われても理解できません。「体験」こそがひとの命の一部になっていき、生きる力となるでしょう。いつか彼らが大きくなり、悩み、行き詰まり、迷い苦しんだ時、思い出してほしいと思います。あのとき友達と過ごした海や浜、いっしょに見ていた焚火の火、真っ暗な夜の闇と満点の星空、夕焼けや朝焼けの美しさ、体いっぱい感じた水や風や砂…。そしてその一部のように息づく自分や友人の命の鼓動…。そんな体験の宝があるかぎり、きっとどんなことも乗り越えていけるような気さえしてきます。
彼らは身体こそ小さいですが、立派な大人でした。無限のパワーを持って、今を全力で走りぬく。まるで明日がだれにでも同じようにくるとは限らない…。それを誰よりも理解していて、後悔しないように生きているかのようでした。昔自分もああだった…。もしかしたら、大人たちが子どもを先生として教えられることのほうが多いのではないかと思います。ありがとう小さな隊員たち。またいつか一緒に、探検にでかけましょう。