2013年05月20日
南西諸島航海記 徳之島で隠密入出港
2000年7月23日
晴れ 南風 波1.5mのち2m 沖永良部〜徳之島
夜、テントにはいってもしばらく船漕ぎの応援が続いた。やがて静かになり、人が去っていったことを知る。そして港にある水道から水をくませて頂き、翌日にそなえて眠りについた。短めのエアーマット、衣類を入れた防水バッグ(まくら)、以前北海道で、凍える高校生を救った薄いシュラフカバー。これが暑い夏の就寝道具だ。

<毎朝、命があるのは奇跡>
再び早朝から準備。コンビニで買っておいた野菜ジュース、ちょっとづつ飲もうと思っていた。しかし栄養不足だったせいかあまりにも美味しく感じ、1リットルを一気飲みしてしまった。あんなに野菜ジュースが美味しく感じたことはない。
テント泊というのは自由だが、実に脆弱なものでもある。布切れ一枚なのだ。仮に動物や追い剥ぎが襲う気になれば、簡単に破壊され、命を奪われることもある。だから朝、生命があって目をさますと、決まって「今日も奇跡が起きた」ようで嬉しく、ありがたくてたまらなかった。
ネイティブ・アメリカンの古老の言葉を以前本で読んだことがある。彼らは私達が神や仏と呼ぶものを、グレイトスピリットとか、グランドファーザーとか呼んで敬う。そして朝にはこう祈るという。
その日、海に出た後で生きて再び陸に立てるか、どこで夜を過ごすか、誰と会うか、すべてがわからない旅での心の支え。それは私にとってもこういう祈りであり、感謝であった。謙虚な感謝とは、それがある限り、どこかで命綱がつながっているような安心感を与えてくれるものだ。そしてこの日も生命にめいっぱい感謝し、再びカヤックを浮かべ、徳之島をめざして洋上に踊りだす。

和泊港を光がつつみ、カヤックをスポットライトのように照らす。
徳之島へ向けてのスタートだ。

和泊を出てしばらくは沖永良部の沿岸を行く。
岬付近はさすがに潮流がつよく、三角波がたつ。
<航海中の飲水と行動食>
ここで水と行動食について。12時間程度の航海では2リットルのペットボトルを6本、いっぱいに水を入れ、スポーツドリンクの粉を入れる。そのうち飲むのは5本。一本はただの水にしておく。それを座席の後ろのサードハッチに入れる。さらに500mlのペットボトル4本。海上で飲む分はこちらに入れる。この大きさなら、デッキネットに入れてかさばらないからだ。そして500mlの分が空にになれば、サードハッチから2リットルのものを出し、500mlのボトルに再びチャージする。真水でとっておくやつは上陸後にラダーやワイヤーを洗浄、調理、そしてシャワー代わりにする。8時間程度の航海では2リットルを4本と500mlを2本、3時間程度の時は2リットル2本と500ml1本にし、軽量化した。
行動食はエナジーバーと、バナナ、塩飴、それにスポーツ選手がパフォーマンスを持続させるというサプリメントだ。実際効いていたかどうかはわからないが、大した体力もない自分がこんな旅ができたので、効果はあったものと思う。これらをそれぞれ1時間ごとに1つづつ、サプリは着くまでに4回ほど口にする。一時間ごとにバナナの皮を海に捨てていたので、等間隔で浮かんでいたはず。追跡者がいたら逃げられなかっただろう。

日も上にのぼりきれば前方の眩しさは半減する。
時々太陽を覆う雲がありがたく、
突然の土砂降りは最高の恵みだった。
<横断の途中にも天の恵み>
漕ぎ続けて数時間。海のまっただ中、体は暑さを、鼻は潮の香を感じ、目は海と空の青さをみつめる。右と左で交互に上る水しぶき、水の重さを感じる感覚、そして横を通過していくパドルで出来た泡などでカヤックが進んでいることを確認する。晴れ渡り、視界は最高だ。55kmくらいある徳之島もよくみえる。左手、右手とも水平線。巨大な入道雲が立ち並んでいる。そして海のラインにそって雲の下はみんな平たい。あちこちで雲の下から雨が海に降り落ちている「水の柱」がみえる。
ふいにうしろを見ると、低くて暗い雲がものすごい速さでで迫っていた。だんだんと気温がさがり、あっというまに日陰になる。もしかしてと思うと、ざーっと土砂降りの雨が降ってきた。一瞬周りが見えないくらいだ。とたんに頭も体もさっぱりする。海水だらけの海の上で、上をむけば美味しい真水が口に流れてくる。そして最高に涼しくて気持ちがいい! スコールはまさに天からの恵みだ。
亀徳と間違えて亀津に上陸。気がつけばそこは工事途中の港だった。セルフタイマーをセットし、ダッシュでこの姿勢に戻る。当時はデジカメではないのでとれているかどうか現像までわからなかった。それも懐かしい。
<また、ふと水面が気になる>
漕いでも漕いでも近づく気がしない最後の数時間を乗り越え、徳之島の沿岸に近づいた。やはりリーフが広がっていておいそれと海岸には近づけない。するとまたなんでもない水面に目を奪われる。その5秒後ほど、そこに5頭のイルカの群れが現れた! 距離は10mほどだ。今度は近い。興奮して並走していく。ひれはバンドウイルカだろうか。彼らの存在に無意識に気がつくのは与論島でも同じだった。感が鋭くなっているのかもしれない。
<台風6号の接近。そして人知れず奄美へ向かう。>
やがて亀徳港と思われる港を見つけて上陸。なんだか人気がまるでない。後で気がつくのだがそこは亀徳の少し南の亀津という場所。まだ工事中の港だった。スロープにあげ、町へでようとしたらガードレールやカラーコーンで遮られており、「関係者意外立入禁止」だった。でも中から来ちゃったので仕方がないな。
少し歩くと漁協の施設を発見。まるで「暇です」と看板を掲げているようにぼんやり座ったているおじさんたちに話しかけ、やっとここが亀津だと知る。「兄ちゃん、カヌーで旅してんなら魚でもつって持ってきたら買い取るよ!」と言われた。この時私はてんで釣りには疎かったので、こういうチャンスを逃していたのだ。というか、そんな余裕はないのだ横断では。でもいま振り返ると、こんどはそんな楽しみ方もあるなとしみじみ思う。
少し歩いてスーパーをみつけ、フライドチキンとお茶をかって空腹を満たす。そんなボリューム満点のおやつがうれしい。夕飯はとんかつ屋をみつけて迷わず入り、がっつりと定食を堪能。やはりしっかり食べるのは幸せだった。
さて、徳之島ではこれといって誰かに出会うとか、飲み会になったとかはなく、翌朝あっさりと去ってしまう。私が徳之島でやったこと、それはスロープに上陸する、暇そうな漁協の人に話しかける、スーパーでフライドチキンを買って食べる、とんかつ屋で夕飯を食べる、これだけだった。おそらく工事現場の港で人がキャンプしていたなんて誰も知ることなく、いまこのブログを読んでいる方たちが実は最初に知る人かもしれない。まるで隠密行動かゲリラのように、そっと上がってそっと去っていたのだ。なのであまり印象に残っていない。いや、一番何もなかったということでかえって覚えたいたのかもしれない。もっと大きな亀徳に上がっていたら、また違った展開になっていたのだろうか。そんな想像をするのもまた楽しい。

あっという間に去った徳之島で撮影した
数少ない写真のひとつ。雨上がりで虹がかかっている。
実はすぐに去ったのには理由があったことを思い出した。翌日の天気予報だ。南の風、強く、波3m、さらに2日後、南東の風強く、3mのち4m。台風6号が迫っていたのだ。このままでは停滞4日間は必至。旅行の日程も詰まっている。まだ翌日なら間に合う。このとき、あの石垣島の失敗と同じような考えだったとおもわれるでしょう。しかし違っていました。大島海峡へは大きな波があっても入れることを知っていたのです。それともうひとつ。旅で培われた静かな自信、そしてそこへ語りかけてくる直感。それが「大丈夫だ」といっていたのです。
晴れ 南風 波1.5mのち2m 沖永良部〜徳之島
夜、テントにはいってもしばらく船漕ぎの応援が続いた。やがて静かになり、人が去っていったことを知る。そして港にある水道から水をくませて頂き、翌日にそなえて眠りについた。短めのエアーマット、衣類を入れた防水バッグ(まくら)、以前北海道で、凍える高校生を救った薄いシュラフカバー。これが暑い夏の就寝道具だ。

<毎朝、命があるのは奇跡>
再び早朝から準備。コンビニで買っておいた野菜ジュース、ちょっとづつ飲もうと思っていた。しかし栄養不足だったせいかあまりにも美味しく感じ、1リットルを一気飲みしてしまった。あんなに野菜ジュースが美味しく感じたことはない。
テント泊というのは自由だが、実に脆弱なものでもある。布切れ一枚なのだ。仮に動物や追い剥ぎが襲う気になれば、簡単に破壊され、命を奪われることもある。だから朝、生命があって目をさますと、決まって「今日も奇跡が起きた」ようで嬉しく、ありがたくてたまらなかった。
ネイティブ・アメリカンの古老の言葉を以前本で読んだことがある。彼らは私達が神や仏と呼ぶものを、グレイトスピリットとか、グランドファーザーとか呼んで敬う。そして朝にはこう祈るという。
「グランドファーザー、今日も命ある新しき朝をありがとうございます。」
その日、海に出た後で生きて再び陸に立てるか、どこで夜を過ごすか、誰と会うか、すべてがわからない旅での心の支え。それは私にとってもこういう祈りであり、感謝であった。謙虚な感謝とは、それがある限り、どこかで命綱がつながっているような安心感を与えてくれるものだ。そしてこの日も生命にめいっぱい感謝し、再びカヤックを浮かべ、徳之島をめざして洋上に踊りだす。

和泊港を光がつつみ、カヤックをスポットライトのように照らす。
徳之島へ向けてのスタートだ。

和泊を出てしばらくは沖永良部の沿岸を行く。
岬付近はさすがに潮流がつよく、三角波がたつ。
<航海中の飲水と行動食>
ここで水と行動食について。12時間程度の航海では2リットルのペットボトルを6本、いっぱいに水を入れ、スポーツドリンクの粉を入れる。そのうち飲むのは5本。一本はただの水にしておく。それを座席の後ろのサードハッチに入れる。さらに500mlのペットボトル4本。海上で飲む分はこちらに入れる。この大きさなら、デッキネットに入れてかさばらないからだ。そして500mlの分が空にになれば、サードハッチから2リットルのものを出し、500mlのボトルに再びチャージする。真水でとっておくやつは上陸後にラダーやワイヤーを洗浄、調理、そしてシャワー代わりにする。8時間程度の航海では2リットルを4本と500mlを2本、3時間程度の時は2リットル2本と500ml1本にし、軽量化した。
行動食はエナジーバーと、バナナ、塩飴、それにスポーツ選手がパフォーマンスを持続させるというサプリメントだ。実際効いていたかどうかはわからないが、大した体力もない自分がこんな旅ができたので、効果はあったものと思う。これらをそれぞれ1時間ごとに1つづつ、サプリは着くまでに4回ほど口にする。一時間ごとにバナナの皮を海に捨てていたので、等間隔で浮かんでいたはず。追跡者がいたら逃げられなかっただろう。

日も上にのぼりきれば前方の眩しさは半減する。
時々太陽を覆う雲がありがたく、
突然の土砂降りは最高の恵みだった。
<横断の途中にも天の恵み>
漕ぎ続けて数時間。海のまっただ中、体は暑さを、鼻は潮の香を感じ、目は海と空の青さをみつめる。右と左で交互に上る水しぶき、水の重さを感じる感覚、そして横を通過していくパドルで出来た泡などでカヤックが進んでいることを確認する。晴れ渡り、視界は最高だ。55kmくらいある徳之島もよくみえる。左手、右手とも水平線。巨大な入道雲が立ち並んでいる。そして海のラインにそって雲の下はみんな平たい。あちこちで雲の下から雨が海に降り落ちている「水の柱」がみえる。
ふいにうしろを見ると、低くて暗い雲がものすごい速さでで迫っていた。だんだんと気温がさがり、あっというまに日陰になる。もしかしてと思うと、ざーっと土砂降りの雨が降ってきた。一瞬周りが見えないくらいだ。とたんに頭も体もさっぱりする。海水だらけの海の上で、上をむけば美味しい真水が口に流れてくる。そして最高に涼しくて気持ちがいい! スコールはまさに天からの恵みだ。

<また、ふと水面が気になる>
漕いでも漕いでも近づく気がしない最後の数時間を乗り越え、徳之島の沿岸に近づいた。やはりリーフが広がっていておいそれと海岸には近づけない。するとまたなんでもない水面に目を奪われる。その5秒後ほど、そこに5頭のイルカの群れが現れた! 距離は10mほどだ。今度は近い。興奮して並走していく。ひれはバンドウイルカだろうか。彼らの存在に無意識に気がつくのは与論島でも同じだった。感が鋭くなっているのかもしれない。
<台風6号の接近。そして人知れず奄美へ向かう。>
やがて亀徳港と思われる港を見つけて上陸。なんだか人気がまるでない。後で気がつくのだがそこは亀徳の少し南の亀津という場所。まだ工事中の港だった。スロープにあげ、町へでようとしたらガードレールやカラーコーンで遮られており、「関係者意外立入禁止」だった。でも中から来ちゃったので仕方がないな。
少し歩くと漁協の施設を発見。まるで「暇です」と看板を掲げているようにぼんやり座ったているおじさんたちに話しかけ、やっとここが亀津だと知る。「兄ちゃん、カヌーで旅してんなら魚でもつって持ってきたら買い取るよ!」と言われた。この時私はてんで釣りには疎かったので、こういうチャンスを逃していたのだ。というか、そんな余裕はないのだ横断では。でもいま振り返ると、こんどはそんな楽しみ方もあるなとしみじみ思う。
少し歩いてスーパーをみつけ、フライドチキンとお茶をかって空腹を満たす。そんなボリューム満点のおやつがうれしい。夕飯はとんかつ屋をみつけて迷わず入り、がっつりと定食を堪能。やはりしっかり食べるのは幸せだった。
さて、徳之島ではこれといって誰かに出会うとか、飲み会になったとかはなく、翌朝あっさりと去ってしまう。私が徳之島でやったこと、それはスロープに上陸する、暇そうな漁協の人に話しかける、スーパーでフライドチキンを買って食べる、とんかつ屋で夕飯を食べる、これだけだった。おそらく工事現場の港で人がキャンプしていたなんて誰も知ることなく、いまこのブログを読んでいる方たちが実は最初に知る人かもしれない。まるで隠密行動かゲリラのように、そっと上がってそっと去っていたのだ。なのであまり印象に残っていない。いや、一番何もなかったということでかえって覚えたいたのかもしれない。もっと大きな亀徳に上がっていたら、また違った展開になっていたのだろうか。そんな想像をするのもまた楽しい。

あっという間に去った徳之島で撮影した
数少ない写真のひとつ。雨上がりで虹がかかっている。
実はすぐに去ったのには理由があったことを思い出した。翌日の天気予報だ。南の風、強く、波3m、さらに2日後、南東の風強く、3mのち4m。台風6号が迫っていたのだ。このままでは停滞4日間は必至。旅行の日程も詰まっている。まだ翌日なら間に合う。このとき、あの石垣島の失敗と同じような考えだったとおもわれるでしょう。しかし違っていました。大島海峡へは大きな波があっても入れることを知っていたのです。それともうひとつ。旅で培われた静かな自信、そしてそこへ語りかけてくる直感。それが「大丈夫だ」といっていたのです。